本所相生町5丁目(現在の緑一丁目)
1891年(明治24年)6が宇10日、伊藤晴雨が母に連れられて(両親という記載も)初めて本所寿座に芝居を見に行く。30分ほど続く『吉田御殿、招く振袖』の責め場竹尾の責め場が強く印象に残る[1]。
1892年(明治25年)、廃座。
1898年(明治31年)、小芝居劇場として再び開座[2]。