大宅壮一文庫
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概要
大宅壮一が生前に蒐集した雑誌などのコレクションを、個人に遺志をついで、大宅昌夫人が財団法人化して広く一般に公開している資料館。現在は娘にあたる枝廣映子が理事長として運営。2011年時点で、雑誌1万種類72万冊と書籍7万冊を有する日本で唯一の雑誌専門図書館で、利用者は300人/日、職員は40名[1] 。
所在地
東京都世田谷区八幡山3-10-20
大宅壮一と大宅壮一文庫
1900年(明治33年)、誕生。
1944年(昭和19年)、終戦に伴いインドネシアから帰国して世田谷区八幡山(現在の文庫所在地)に土地を購入。農業を開始。
1952年(昭和27年)、資料収集を開始。
1955年(昭和30年)、庭先に資料室、「雑草文庫」を建設。
1970年(昭和45年)、永眠。雑誌17万冊と書籍3万冊を残す。
1971年(昭和46年)5月17日、夫人、大宅昌が「財団法人大宅文庫」設立。
1978年(1978年)、「財団法人大宅壮一文庫」と改名。
1997年(平成9年)、埼玉県越谷に分館開館。
2007年(平成19年)、大宅昌永眠。
トピックス
- 「情報に貴賎はない」が大宅壮一のモットー。「図書館にあるような権威のあるものは集めないんだよ。つまらん本ほどいいんだ」
- 大宅壮一は記事を全部カード化してキーワードで整理できるようにした。
- 明治から1987年頃までの索引項目は印刷物として整理されており、1988年以降の項目540万件はデジタル化され検索が容易になっている。
引用文献
- ↑ 大宅文庫ニュース 2011年(平成23年)7月15日 第77号