「水城淳」の版間の差分
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画像JunMizuki01.png|[[安芸蒼太郎]]『'''調教ゲーム'''』[[S&Mフロンティア]] 1977年(昭和52年)6月号より。挿絵:[[水城淳]]。 | 画像JunMizuki01.png|[[安芸蒼太郎]]『'''調教ゲーム'''』[[S&Mフロンティア]] 1977年(昭和52年)6月号より。挿絵:[[水城淳]]。 | ||
画像JunMizuki02.png|[[団鬼六]]『'''淫花夫人'''』[[SMクラブ]] 1979年(昭和54年) | 画像JunMizuki02.png|[[団鬼六]]『'''淫花夫人'''』[[SMクラブ]] 1979年(昭和54年)7月号より。挿絵:[[水城淳]]。 | ||
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2023年7月13日 (木) 14:26時点における版
みずき じゅん、1927年(昭和2年)-2003年(平成15年)。少年雑誌の挿絵画家である柳柊二の変名。はSMキング、SMファン、SMフロンティアなどに挿絵を書いていた。
概要
柳柊二の名で「少年画報」、「少年キング」、「ぼくら」、「少年マガジン」、「少年サンデー」、「ボーイズライフ」などの挿絵。水城淳の名ではSMキング、SMファン、別冊SMファン、SMフロンティアに作品発表。
別名
略歴
1927年(昭和2年)、詩人・柳橋好雄を父に茨城県に生まれる[1]。
帝国美術学校中退。
1972年(昭和47年)8月、SMキング創刊号の団鬼六『雲助日記』の挿絵。
1975年(昭和50年)、SMフロンティア12月号に『水城淳恍惚責め絵展』。
2003年(平成15年)、永眠。
エピソード
代表作
ギャラリー
引用文献
注釈