「合田佐和子」の版間の差分

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1965年(昭和40年)、銀座の銀芳堂で初の個展『'''合田佐和子 作品展'''』<ref name="‎#20221124"></ref>。
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2022年(令和4年)11月3日-1月15日、高知県立美術館にて『'''[[合田佐和子]]展 帰る途もつもりもない'''』。
2022年(令和4年)11月3日-1月15日、高知県立美術館にて『'''[[合田佐和子]]展 帰る途もつもりもない'''』。

2023年3月20日 (月) 13:33時点における版

合田佐和子 SMファン 1976年(昭和51年)1月号表紙。『グレタ・ガルボ』(1975)が原画。

ごうだ さわこ、1940年(昭和15年)10月11日-2016年(平成28年)2月19日

概要

画家。寺山修司唐十郎などの劇団の美術を担当。

別名

略歴

1940年(昭和15年)10月11日、高知県に生まれる[1]

1959年(昭和34年)4月、武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)入学[2]

1964年(昭和39年)、瀧口修造と知り合う[2]

1965年(昭和40年)、銀座の銀芳堂で初の個展『合田佐和子 作品展[2]

1971年(昭和46年)、ニューヨークでの生活を契機に、油絵制作を開始[2]

1972年(昭和47年)10月、状況劇場のポスターを制作[2]

1977年(昭和52年)2月、天井桟敷の『バルトークの中国の不思議な役人』の美術担当[2]

1985年(昭和60年)、エジプトに1-3月の間家族で移住[2]

2022年(令和4年)11月3日-1月15日、高知県立美術館にて『合田佐和子展 帰る途もつもりもない』。

2023年(令和5年)1月28日-3月26日、三鷹市美術ギャラリーにて『合田佐和子展 帰る途もつもりもない』。

エピソード

代表作

ギャラリー

画集など

引用文献

  1. Wikipediaより
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 合田佐和子 帰る途もつもりもない』 (青幻社, 2022.11.24)

注釈


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