「新高恵子」の版間の差分
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1966年(昭和41年)、『愛欲の果て』で2役に挑戦<ref name="yakuza"></ref>。 | 1966年(昭和41年)、『愛欲の果て』で2役に挑戦<ref name="yakuza"></ref>。 | ||
1966年(昭和41年) | 1966年(昭和41年)8月、[[本木荘二郎|高木丈夫]]監督『蛇淫の肌』 (ヤマベプロ)。 | ||
1966年(昭和41年)8月、[[西原儀一]]監督『愛欲の果て』(葵映画)。 | |||
1971年(昭和46年)4月24日、寺山修司監督『書を捨てよ町へ出よう』 人力飛行機舎=ATG | |||
==エピソード== | ==エピソード== | ||
*[[団鬼六]]のお気に入りのピンク女優の一人。 | *[[団鬼六]]のお気に入りのピンク女優の一人。 | ||
* | *1966年(昭和41年)頃、九條今日子が[[寺山修司とSM|寺山修司]]に新高を紹介し、寺山が直接西原儀一にゆずってくれと頼みに来た<ref name="yakuza"></ref>。 | ||
==代表作== | ==代表作== |
2010年5月22日 (土) 16:11時点における版
にいたか けいこ、19??年(昭和??年)-
活動内容
別名
Keiko Niitaka、藤田恵子
略歴
1960年(昭和35年)頃、藤田恵子という名前で、西原儀一の西原企画で歌手として活動[1]。
1965年(昭和40年)9月、『肉体の報酬』(葵映画)を「隠密剣士」のスタッフで撮影[1]。
1966年(昭和41年)、『愛欲の果て』で2役に挑戦[1]。
1966年(昭和41年)8月、高木丈夫監督『蛇淫の肌』 (ヤマベプロ)。
1966年(昭和41年)8月、西原儀一監督『愛欲の果て』(葵映画)。
1971年(昭和46年)4月24日、寺山修司監督『書を捨てよ町へ出よう』 人力飛行機舎=ATG
エピソード
代表作
引用文献
注釈