「風俗草紙」の版間の差分

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== エピソード==
== エピソード==
 
*表紙を[[秋吉巒]]や[[中川彩子]]が描いた。
 
*奇譚クラブを離れた[[須磨利之|喜多玲子]]が描く。[[須磨利之|美濃村晃]]というペンネームも絵でこのこから用いられている<ref group="注">[[奇譚クラブ]]でも「MINOMURA」や「晃」の絵のサインが津使われていた。</ref>。
表紙を[[秋吉巒]]
*やがて[[八木静男]](=[[奇譚クラブ]]では[[都築峯子]])も登場。[[須磨利之|須磨]]が誘ったか?
 
*[[中川彩子]]がはじめて登場。
奇譚クラブを離れた[[須磨利之|喜多玲子]]が描く。[[須磨利之|美濃村晃]]というペンネームもこのころから。「ミノムラ=ジャワ語でちょっと一服」
 
やがて[[八木静男]](=[[都築峯子]])も登場。[[須磨利之|須磨]]が誘ったか?
 
[[中川彩子]]がはじめて登場。
 
[[須磨利之|喜多]]、[[都築峯子|八木]]、[[中川彩子|中川]]、[[伊藤晴雨]]はマニアに喜ばれたが、あとは偽物のマニア。
 
派手な活動をしたが、底辺でマニアを理解していなかった。


== 引用文献==
== 引用文献==

2010年4月10日 (土) 07:42時点における版

風俗草紙'』(ふうぞくそうし)は、戦後二番目に発行されたSM関連風俗誌である。

概要

発行年・出版社

(1953-1954)日本特集出版社 

発行人・編集人

氏家富良

主な出来事

1953年(昭和28年)9月、『女体の縛り方一五種』では伊藤晴雨が縛り方を図入りで解説。美濃村の縛りも紹介。上田青柿郎も出ている。

1954年(昭和29年)、2月号が摘発(続いて奇譚クラブも)。4月号も発禁となり、やがて廃刊[1]

エピソード

引用文献

注釈

  1. 奇譚クラブでも「MINOMURA」や「晃」の絵のサインが津使われていた。