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''この記事は2012年(平成24年)2月12日に「[http://metabiosis.blog53.fc2.com/ Ardent Obsession III]」に投稿されたブログ記事を転載したものです。''
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2015年10月12日 (月) 10:51時点における最新版

この記事は2012年(平成24年)2月12日に「Ardent Obsession III」に投稿されたブログ記事を転載したものです。

花真衣SAMM長田英吉

SAMMでの自縛ショー

写真は1983年(昭和58年)のにっかつ映画『団鬼六 蛇の穴』の冒頭のワンシーン。SMクラブでの、逆さ吊り状態で自縛ショーである。演ずるのは「花真衣」、撮影場所は伝説のSMクラブ「SAMM」である。

花真衣さんは、女優として知られると同時に、「カリスマ女王様」「刺青女王」などと称され、若い女王様達も一目おくミストレス。2004年(平成16年)〜2007年(平成19年)におこなわれた、ショーアップ大宮(2005年からはDX歌舞伎町に移る)でのSMショーは、今でも伝説として語り継がれ、一部はDVDとしても残されている。

花真衣さんの女王様としての歴史は、昨年、早川舞さんが、連載『そのとき歴史が鞭打たれた』(季刊レポ)の第5回として『伝説の女王様と華麗なるその舞台』として詳しく紹介している。ここでは、重複を避け、特に花真衣さんがSM界にデビューした1980年前後に焦点をあて、先日おこなったインタビューの情報をもとに、当時のSMショーの動きを探ってみたい。

SMショーと長田英吉

SAMM賀山茂氏が1979年(昭和54年)に港区麻布台にオープンした。高級SMバーの元祖のような存在で、入会金が10万円。毎回、遊ぶ時にも8-10万円かかったそうなので、30年以上前の話であることを考慮すると、敷居はかなり高い。敷居が高いというか、普通の人には一生縁のない場所だ。事実、SAMMのお客さんは、会社の重役や社長が多かったということだ。

ただし、花真衣さんの記憶によると、店に入ってまずあるのは、メンバーではない一般の人も入れるカウンターバーのようなスペース。ここでは、アラビアンナイト風のコスチュームを着た、一見S風の女性達とお酒を飲むことができたとか。ただし、ショータイムが行われる夜の8時時になるとになると、メンバーだけが奥のバーに入ることが許される。当時では珍しい電子式カードキーを鍵穴に差し込むと、それまで壁だったところに、突如ドアに変身し、奥にある会員専門の広いバーに入ることができたそうな。そして、その会員のみが入れるバーでは、美女があられもない格好で鞭打たれ責められる秘密のSMショーが繰り広げられるといった、まさに団鬼六の小説のようなお店だったようだ。お金が無くて、前室までしか入れなかった人は、壁の奥から聞こえる、女性の叫び声を聞きながら、どんな気持ちでお酒を飲んでいたのだろう。

SAMMがオープンした1979年(昭和54年)頃のSMショーの様子を振り返ってみよう。SAMMと並んで有名なSMショークラブとしては、葵マリの「赤坂ブルーシャトー」があるが、これはおそらく1980年(昭和55年)のオープン。「SAMM」と「赤坂ブルーシャトー」はマスコミにも頻繁に取り上げられ、SMが市民権を獲得 (?)するのに一役かった存在である。花真衣さんの話では、SAMMは、当時のTV番組「キーハンター」の撮影にもよく使われたそうだ。

一般社会への露出を嫌った、マニアだけのSMクラブとなると、当然より古い時期から存在する。記録にあるものだけでも、1963年(昭和38年)年頃には大阪阿倍野に『唄子の店』が、1972年(昭和47年) 頃には、大坂ミナミに『レイ』が、1970年代には、新宿区舟町に『なかむら』といったSMクラブがあった。ひょっとするとこれらの店でSMショーがおこなわれていたのかもしれないが、1980年代前後の「SAMM」や「赤坂ブルーシャトー」とは、少々立ち位置が違っていたものと想像される。

お店ではなく、舞台でSMショーを見せるとなると古くは、大正時代の伊藤晴雨の「責めの劇団」まで遡れる。話を戦後に絞ると1960年代の向井一也ローズ秋山、あるいは劇団「赤と黒」などがある。これらは奇譚クラブの時代の出来事、確かに現在のSMショーにつながる流れではあるが、伊藤晴雨と同じく、そのつながりを実感しにくいので、ひとまず横に置いておく。

現在のSMショーによりダイレクトにつながる流れとなると、1970年代中頃からの一連の動きであろう。1976年(昭和51年)には、関西の玉井敬友が上京して、六本木に劇団「シアタースキャンダル」を設立している。同時期には桜田伝次郎GSG企画を立ち上げ、大塚や中野でSMショーをおこなっている。明智伝鬼は1978年(昭和53年)から桜田伝次郎GSG企画に関わったとされる。

そして忘れてはならないのが「長田英吉」。SMショーの元祖と呼ばれる長田英吉が「オサダ・ゼミナール」として最初にショーをおこなったのが、1960年代後半の阿佐ヶ谷のアルス・ノーヴァではないかとされている。このアルス・ノーヴァでの第1回「オサダ・ゼミナール」の正確な開催日に関しては、さらなる調査が必要なのだが、確実なところでは、上述の上京した玉井敬友の六本木の「シアタースキャンダル」の事務所でオサダ・ゼミナールのショーが1976年(昭和51年)の春から半年ほど行われている。さらに、1978年(昭和53年)からは、渋谷に今もあるストリップ劇場の「道頓堀劇場」でのオサダ・ゼミナールのショーが始まっている。1980年(昭和55年)頃には桜田伝次郎のGSG企画でもオサダ・ゼミナールが行われていたようなので、長田英吉玉井敬友桜田伝次郎らが互いに刺激し合いながら、SMショーの形を作っていたのがこの時代である。

長田英吉花真衣

映画女優時代の花真衣

花真衣さんは、1977年(昭和52年)頃に西日本から上京し、まずは赤坂にあったマンモスキャバレー「ミカド」に勤める。この「ミカド」、奇しくも初代葵マリも勤めていた当時有名なキャバレーである(ただし花真衣さんは初代葵マリさんとは面識はないそうだ)。その後、他のクラブでママをやっていたようだ。ある日、仕事帰りのナイトクラブに一人で来ていた女性客と友達になったそうだが、なんと、その女性が長田英吉のショーパートナーだったそうだ。彼女に、「SAMMでのショーを見に来ない」と言われて行ったのが初めての長田英吉、そしてSAMMとの出会い。これは面白いということで、SAMMでの長田英吉のショーのパートナーとなったのが、花真衣さんがSMの世界に足を踏み入れるきっかけとなった。それまでは、SMがどういうものかは、全然知らなかったということである。

長田英吉のショーパートナーとなったのが、1980年(昭和55年)となっているが、実際の所は、記憶が曖昧なので、多少のずれはあるかもしれないとのこと。ただし、SAMMがオープンしたのが、1979年(昭和54年)で、花真衣さんと同じように、SAMMでの長田英吉のショーパートナー(1982年頃)と中野クィーンでの女王様(1985年頃)をやっていた森美貴さんは「(重なっていない)少々、時代がズレてる(花真衣の方が先輩)」ということなので、1980年(昭和55年)頃からSAMMのショーに出始めたと言うことで話はあう。長田英吉は1981年(昭和56年)1月から、初代葵マリの「赤坂ブルーシャトー」でも定期的にショーをおこなっているが、こちらには花真衣さんはでたことがないとのこと。ただし、どこかのストリップ劇場での長田英吉のショーには出ていたとのことだ。

中野クィーン」の名前が出たが、これは1975年代中頃からあった最も古いSMクラブの1つで、関和子をママに、本田富朗がオーナーである。1980年代後半には、明智伝鬼中野クィーンで精力的にSMショーを開催するが、1980年(昭和55年)頃は、基本的に女王様クラブである。

花真衣さんの話では、SAMMでの長田英吉のショーパートナーとしての生活と、中野クィーンでの女王様の生活は同時に始まったと言うことである。週の何日かは、SAMM長田英吉のショーが夜の8時と10時の2回開催され、そこで覚えた責めの技術を、中野クィーンですぐに実践した、ということだ。花真衣さんは、1982年(昭和57年)頃、「花真衣縛り方教室」を開催していたようだが、おそらくそこで教えられていたのは、長田英吉直系の緊縛術だったのであろう。

最初に紹介した、にっかつ映画『団鬼六 蛇の穴』でのSAMMでの自縛ショー。「自縛ショー」は女優花真衣のトレードマークだが、このきっかけが面白い。ある日、いつものように8時のショーの間に合うようにSAMMで待機していたところ、長田英吉から連絡が入り、時間に間に合わない、とのこと。高いお金を出して観に来てくれているお客さんをがっかりさせるわけにはいかないと、その場で、一人で縛ってショーをすると提案。周囲の心配をよそに、ぶっつけ本番の自縛ショーが予想に反して客に大受けし、その後も続けるようになったとのことである。

女優になったきっかけも、SAMMのお客として来ていた新東宝の専務が、その自縛ショーを気に入り、渡辺護監督の作品の主演に抜擢。この時、渡辺監督が、それまでの「麻衣」という名前に「花」をつけ、さらに字画のよい「真衣」に変えて「花真衣」が誕生したとのこと。この最初の出演映画が、『濡れ肌刺青を縛る』(新東宝, 1982.8)(監督:渡辺護、出演:花真衣 下元史朗 杉佳代子 山地美貴 亜季いずみ 鶴岡八郎 大谷一夫 堺勝朗)である。その後も、梅沢薫片岡修二などの監督で新東宝の映画に多数出演し、SAMMのオーナー、賀山茂氏の盟友である団鬼六氏のからみで、『団鬼六 蛇の穴』(鬼プロ, 1983.2.25)(配給=にっかつ、企画:奥村幸士、原作:団鬼六、脚本:佐伯俊道、監督:藤井克彦、緊縛指導:賀山茂、脚本:佐伯俊道、出演:志麻いづみ 花真衣 水木薫 松井美世子 中原潤)にも出演している。

女王様とパフォーマー

華水木のママ

「映画やショーの時は、パフォーマーとしての意識が強いので、いかに観ている人達から興奮を引き出すかの方に気がいってしまう」が、「プライベート調教は好きな事ができるので楽しい」とおっしゃる花真衣さんは、やはりねっからの女王様。中野クィーン時代は、M男があれこれ文句をいわなかったので、実に楽しかったそうだ。「文句があるなら、来るな!」で済んだ時代だったそうで、今は「これこれはNGで」と最初に言われたりしていやだということだ。「中野クィーンでは大晦日に除夜の鐘と共に一本鞭を打ち込むイベントがあり、楽しかった〜」と喋る時の花真衣さんの目はキラキラ。獲物を前に、さあ、どうやって食べようかしら、という猛獣のようで、さすがカリスマ女王様。伝説のM男さんの「がっちゃん」や「巨泉さん」とのお話しもたくさんしてくださいましたが、こちらは早川舞さんのレポートに詳しく書かれているので、興味のあるかたはそちらをご覧いただきたい。

2006年(平成18年)12月からは兵庫県の西明石駅前に「華水木」というスナックをオープンしており、今回もそのお店でのインタビュー。お店は、一般のお客さんを相手にした、一般のスナックなのだが、もちろん花真衣さんのファンも来店するそうで、SMのお話しもOK。「お店の宣伝もしておいてね」ということですので、SM好きの方は是非、お店に足を運んでいただきたい。お店は7時開店なのだが、お昼間は、まだ現役でプライベート調教を楽しんでおられるそうなので、カリスマ女王様に責められたいM男さんも是非、まずは華水木に行きましょう。住所は兵庫県明石市松の内2丁目8-8。

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