「ロマン派生」の版間の差分
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==概要== | ==概要== | ||
緊縛師。東京在住<ref group="注">[[奇譚クラブ]]1974年(昭和49年)10月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1970/197410/03/264.html p266]には「名古屋ロマン派生」という読者投稿がある。</ref>の医療関係の<ref name="hunt">[[辻村隆]]『SMカメラハント 特訓プレイ妻 佐野みさ子の巻』[[奇譚クラブ]]1972年(昭和47年)12月号</ref>SMマニアで[[奇譚クラブ]]に投稿をしていた。 | 緊縛師。東京在住<ref group="注">[[奇譚クラブ]]1974年(昭和49年)10月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1970/197410/03/264.html p266]には「名古屋ロマン派生」という読者投稿がある。</ref>の医療関係の<ref name="hunt">[[辻村隆]]『SMカメラハント 特訓プレイ妻 佐野みさ子の巻』[[奇譚クラブ]]1972年(昭和47年)12月号</ref>SMマニアで[[奇譚クラブ]]に投稿をしていた。 |
2014年4月16日 (水) 12:01時点における版
ろまんはせい、1930年(昭和5年)前後?[1]-。1970年代の「奇譚クラブ」に『縛りの美学』などを連載していた関東のSMマニア。「SUN&MOON」などにも寄稿。
概要
緊縛師。東京在住[注 1]の医療関係の[2]SMマニアで奇譚クラブに投稿をしていた。
別名
略歴
エピソード
代表作
- ロマン派生『奇クサロン:我が主観 縛りの美学(1)』奇譚クラブ1970年(昭和45年)7月号, p245
- ロマン派生『奇クサロン:我が主観 縛りの美学(2)』奇譚クラブ1970年(昭和45年)8月号, p231
- ロマン派生『奇クサロン:我が主観 縛りの美学(3)』奇譚クラブ1970年(昭和45年)9月号, p242
- ロマン派生『奇クサロン:我が主観 縛りの美学(4)』奇譚クラブ1970年(昭和45年)10月号, p242
- ロマン派生『奇クサロン:我が主観 縛りの美学(5)』奇譚クラブ1970年(昭和45年)11月号, p234
- ロマン派生『告白 プレイの夢想』奇譚クラブ1970年(昭和45年)12月号
- ロマン派生『石原道代の四楽章』奇譚クラブ1972年(昭和47年)2月号
- ロマン派生『佐野みさ子を責める ピッコロ狂詩曲』奇譚クラブ1972年(昭和47年)4月号
- ロマン派生『私のSMプレイ写真術』奇譚クラブ1973年(昭和48年)5月号
- ロマン派生『縛りの美学』奇譚クラブ1974年(昭和49年)11月号, p244
- ロマン派生『縛りの美学』奇譚クラブ1974年(昭和49年)12月号, p134
- ロマン派生『縛りの美学』奇譚クラブ1975年(昭和50年)1月号, p142
- ロマン派生『縛りの美学』奇譚クラブ1975年(昭和50年)2月号, p142
- ロマン派生『私のSMプレイテクニック』SUN&MOON1977年(昭和52年)第4号, p99
- ロマン派生『私のSMプレイテクニック その2 逆吊り』SUN&MOON1977年(昭和52年)第5号, p71
- (グラビア)サンアンドムーン1978年(昭和53年)6月号
- ロマン派生『沢田多恵の青春彷徨』復刊奇譚クラブ1982年(昭和57年)4月号, p104