「緊縛師」の版間の差分
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*[[豊中夢夫]]『'''黒い緊縛師'''』[[SMセレクト]]1974年(昭和49年)2月号 | *[[豊中夢夫]]『'''黒い緊縛師'''』[[SMセレクト]]1974年(昭和49年)2月号 | ||
==[[濡木痴夢男]]関連資料== | ==[[濡木痴夢男]]関連資料== | ||
*『「縄師」を名乗る気持ち』[http://pl-fs.kir.jp/nureki/sibai/21/index.htm 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第二十一回] | |||
:単なる縛り係のことを、もっともらしく、「縄師」だなんて言いだしたのは、一体、どこのどいつだ?どこのどいつか、私は知っているのである。いちばんはじめに言い、名乗ったのは、じつは、美濃村晃なのだ。 | |||
*『臆病な人たち』[http://pl-fs.kir.jp/nureki/sibai/41/index.htm 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第四十一回] | *『臆病な人たち』[http://pl-fs.kir.jp/nureki/sibai/41/index.htm 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第四十一回] | ||
:「縄師」という奇妙な呼称は、自分の根強い劣等感と、すこしでも克服しようという意志から出ている。(「縄師」という新語を考え出した人、つまり美濃村晃がそう言っていた。つまり自称です)「師」という字をつければ、だれかが間違って、本当に「師」と呼ばれるほどの偉い人だと錯覚し、自分の抱いている劣等感を、すこしでもまぎらわすことができるのではないか……。 | :「縄師」という奇妙な呼称は、自分の根強い劣等感と、すこしでも克服しようという意志から出ている。(「縄師」という新語を考え出した人、つまり美濃村晃がそう言っていた。つまり自称です)「師」という字をつければ、だれかが間違って、本当に「師」と呼ばれるほどの偉い人だと錯覚し、自分の抱いている劣等感を、すこしでもまぎらわすことができるのではないか……。 | ||
:美濃村晃が、「縄」への限りない愛着と、そして自虐と自嘲と韜晦を綯い交ぜにした複雑な心で、その夜、新宿のいきつけの某酒場で口走ったのだ。「私は、縄師をやっています」「私は、縄師をやっているヘンタイ男の須磨です。スケベのス、マヌケのマで、スマといいます。どうぞよろしく」このときの美濃村晃は、「裏窓」の編集長であった。一九五八年。 | |||
:「縛師」……バクシ。語感の汚ない、いやなひびきの言葉です。私はバクシだなんて呼ばれたら、いっそう劣等感を抱いてしまい、その場に居たたまれなくなる。バカにされてる、と本気で思ってしまう。 | :「縛師」……バクシ。語感の汚ない、いやなひびきの言葉です。私はバクシだなんて呼ばれたら、いっそう劣等感を抱いてしまい、その場に居たたまれなくなる。バカにされてる、と本気で思ってしまう。 | ||
2012年8月13日 (月) 13:14時点における版
概要
資料
- 江川夢次『SM歌謡「緊縛師」「ピンクの花」』奇譚クラブ1969年(昭和44年)4月号
- 風流極道軒『読むためのシナリオ 女緊縛師』奇譚クラブ1970年(昭和45年)2月号
- 豊中夢夫『黒い緊縛師』SMセレクト1974年(昭和49年)2月号
濡木痴夢男関連資料
- 『「縄師」を名乗る気持ち』濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第二十一回
- 単なる縛り係のことを、もっともらしく、「縄師」だなんて言いだしたのは、一体、どこのどいつだ?どこのどいつか、私は知っているのである。いちばんはじめに言い、名乗ったのは、じつは、美濃村晃なのだ。
- 『臆病な人たち』濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第四十一回
- 「縄師」という奇妙な呼称は、自分の根強い劣等感と、すこしでも克服しようという意志から出ている。(「縄師」という新語を考え出した人、つまり美濃村晃がそう言っていた。つまり自称です)「師」という字をつければ、だれかが間違って、本当に「師」と呼ばれるほどの偉い人だと錯覚し、自分の抱いている劣等感を、すこしでもまぎらわすことができるのではないか……。
- 美濃村晃が、「縄」への限りない愛着と、そして自虐と自嘲と韜晦を綯い交ぜにした複雑な心で、その夜、新宿のいきつけの某酒場で口走ったのだ。「私は、縄師をやっています」「私は、縄師をやっているヘンタイ男の須磨です。スケベのス、マヌケのマで、スマといいます。どうぞよろしく」このときの美濃村晃は、「裏窓」の編集長であった。一九五八年。
- 「縛師」……バクシ。語感の汚ない、いやなひびきの言葉です。私はバクシだなんて呼ばれたら、いっそう劣等感を抱いてしまい、その場に居たたまれなくなる。バカにされてる、と本気で思ってしまう。