「佐々木カネヨ」の版間の差分
提供:SMpedia
編集の要約なし |
(→略歴) |
||
7行目: | 7行目: | ||
1904年(明治37年)、秋田県に生まれる。 | 1904年(明治37年)、秋田県に生まれる。 | ||
1916年(大正5年) | 1916年(大正5年)、上京し、東京美術学校のモデルを始める。藤島武二のモデルをつとめる。 | ||
1916年(大正5年)頃、[[伊藤晴雨]]の愛人となり、責め絵のモデルとなる。 | 1916年(大正5年)頃、[[伊藤晴雨]]の愛人となり、責め絵のモデルとなる。 | ||
1919年(大正8年)、本郷・菊富士ホテルに寄宿していた竹久夢二と知り合う。 | |||
1921年(大正10年)、竹久夢二と渋谷に居をかまえる。 | |||
1924年(大正13年)、竹久夢二が設計した世田谷「少年山荘」に移る。出産するが夭折。 | |||
1925年(大正14年)、自殺未遂。竹久夢二と別れる。 | |||
==関連作品== | ==関連作品== |
2011年4月21日 (木) 07:40時点における版
ささき かねよ
概要
別名
永井兼代、およう、お葉、鈴木かねよ、
略歴
1904年(明治37年)、秋田県に生まれる。
1916年(大正5年)、上京し、東京美術学校のモデルを始める。藤島武二のモデルをつとめる。
1916年(大正5年)頃、伊藤晴雨の愛人となり、責め絵のモデルとなる。
1919年(大正8年)、本郷・菊富士ホテルに寄宿していた竹久夢二と知り合う。
1921年(大正10年)、竹久夢二と渋谷に居をかまえる。
1924年(大正13年)、竹久夢二が設計した世田谷「少年山荘」に移る。出産するが夭折。
1925年(大正14年)、自殺未遂。竹久夢二と別れる。