「奇譚クラブのモデル達」の版間の差分
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*長門弘『[[奇譚クラブのモデル達#.E5.A4.A7.E5.A1.9A.E5.95.93.E5.AD.90|大塚啓子]]さんへ 柔肌に恋う』[[奇譚クラブ]]1964年(昭和39年)3月号 | *長門弘『[[奇譚クラブのモデル達#.E5.A4.A7.E5.A1.9A.E5.95.93.E5.AD.90|大塚啓子]]さんへ 柔肌に恋う』[[奇譚クラブ]]1964年(昭和39年)3月号 | ||
*奈良文夫『[[奇譚クラブのモデル達#.E5.A4.A7.E5.A1.9A.E5.95.93.E5.AD.90|大塚啓子]]さんまいる』[[奇譚クラブ]]1964年(昭和39年)4月号 | *奈良文夫『[[奇譚クラブのモデル達#.E5.A4.A7.E5.A1.9A.E5.95.93.E5.AD.90|大塚啓子]]さんまいる』[[奇譚クラブ]]1964年(昭和39年)4月号 | ||
*[芳野眉美]]『アルバム列伝』[[奇譚クラブ]]1964年(昭和39年)5月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196405/196405_052.html p162] | |||
*[[奇譚クラブのモデル達#.E5.A4.A7.E5.A1.9A.E5.95.93.E5.AD.90|大塚啓子]]『青写真に埋もれて』[[奇譚クラブ]]1966年(昭和41年)3月号 | *[[奇譚クラブのモデル達#.E5.A4.A7.E5.A1.9A.E5.95.93.E5.AD.90|大塚啓子]]『青写真に埋もれて』[[奇譚クラブ]]1966年(昭和41年)3月号 | ||
*[[山本一章]]『カメラルポ この女と [[奇譚クラブのモデル達#.E5.A4.A7.E5.A1.9A.E5.95.93.E5.AD.90|大塚啓子]]の巻』[[奇譚クラブ]]1967年(昭和42年)5月号 | *[[山本一章]]『カメラルポ この女と [[奇譚クラブのモデル達#.E5.A4.A7.E5.A1.9A.E5.95.93.E5.AD.90|大塚啓子]]の巻』[[奇譚クラブ]]1967年(昭和42年)5月号 |
2010年10月4日 (月) 17:10時点における版
奇譚クラブやその分譲写真に登場した昭和のモデル達。
曙書房時代の主なモデル
-
立花郁子 奇譚クラブ 1952年(昭和27年)8月号より
-
川端多奈子 奇譚クラブ 1954年(昭和29年)3月号より
-
村田那美子 奇譚クラブ 1953年(昭和28年)10月号より
-
伊吹真佐子 奇譚クラブ 1954年(昭和29年)5月号より
-
春日ルミ(右)伊吹真佐子(左) 奇譚クラブ 1954年(昭和29年)8月号より
立花郁子
- 辻村隆が川端多奈子以前に縛ったことがあるモデル。ただし実験的な試みで構成を考えるまでにはいたっていない[1]。
- 辻村隆『モデル女のまぞひずむ』奇譚クラブ1954年(昭和29年)10月号, p274で紹介。
- 1951年(昭和26年)6月号に一度モデル希望ということで面接しているが断わった[2]。
- 1952年(昭和27年)夏、高校を卒業してまもなく、再度モデル志願に来たので採用(逆算すると1934年(昭和9年)頃の生まれとなる)。奇譚クラブ8月号に出ている[2]。
- 緊縛に積極的な女性。使った写真は少ない。川端多奈子が人気を集め出すと共に、家庭の事情で消えていく[2]。
- 『美しき苦悶』奇譚クラブ1952年(昭和27年)7月号, グラビアのいくつかのモデルも立花郁子のように見える。
- 『縛られたる女』奇譚クラブ1952年(昭和27年)8月号, グラビア[注 1]
川端多奈子
- 辻村隆が好んだ初期のモデル。M性が強い、1952年(昭和27年)6月に初めて会う。緊縛の構成を本格的にした最初のモデル。別名:川端棚子[1]。
- 奇譚クラブ1952年(昭和27年)9月号に初めて登場[注 2][3]。
- 奇譚クラブ1952年(昭和27年)10月号の写真は、2回目か3回目の撮影のもの[2]。
- 辻村隆『縛った女を寫す』奇譚クラブ1952年(昭和27年)12月号
- 1952年(昭和27年)の末に販売していた分譲写真、第三篇、第四篇はほぼ川端多奈子がモデル[3]。
- 川端多奈子『桃色のベールに包まれて(縛られてみて)』奇譚クラブ1953年(昭和28年)1月号
- 川端多奈子『破った日記帳』奇譚クラブ1953年(昭和28年)2月号
- 川端多奈子『ゆうべ見た夢 破った日記帳より』奇譚クラブ1953年(昭和28年)4月号
- 辻村隆・塚本鉄三『後手と高手小手による緊縛美の考察』奇譚クラブ1953年(昭和28年)4月号, 口絵
- 矢作生『川端多奈子さんへ』奇譚クラブ1953年(昭和28年)5月号
- 羽村京子『川端多奈子さんへ』奇譚クラブ1953年(昭和28年)5月号
- 川端多奈子『羽村京子さんへ』奇譚クラブ1953年(昭和28年)7月号
- 川端多奈子『縛られた女ばかりの座談会』奇譚クラブ1953年(昭和28年)9月号
- 川端多奈子『悦虐に哭く 破った日記より』奇譚クラブ1953年(昭和28年)10月号
- 川端多奈子『悦虐に咽ぶ 』奇譚クラブ1953年(昭和28年)12月号
- 川端多奈子『悦虐に悶える』奇譚クラブ1954年(昭和29年)1月号
- 川端多奈子『痛いと感じた時』奇譚クラブ1954年(昭和29年)4月号
- 川端多奈子『モデルの告白 私の好きな縛られ方』奇譚クラブ1954年(昭和29年)6月号
- 川端多奈子『或る手紙に寄せて』奇譚クラブ1954年(昭和29年)8月号
- 辻村隆『緊縛モデルの素顔』1955年(昭和30年)3月号で紹介。
- 川端多奈子『告白 縄と猿轡』奇譚クラブ1961年(昭和36年)8月号
- 近藤一『川端多奈子を想う』奇譚クラブ1961年(昭和36年)8月号
- 川端多奈子『告白 縄の魅力』奇譚クラブ1961年(昭和36年)9月号
- 近藤一『川端多奈子嬢に「悦虐と愛情と」』奇譚クラブ1962年(昭和37年)1月号
- 川端多奈子『バックナンバー』奇譚クラブ1962年(昭和37年)7月号, p136
- 芳野眉美『アルバム列伝』奇譚クラブ1964年(昭和39年)5月号, p162
- 四国の松山の生まれ。大阪の商事会社事務員だったがやがてやめる。
- 奇譚クラブの読者と結婚したが離婚[4]。
村田那美子
- 1953年(昭和28年)7月号に初登場。
- 辻村隆『緊縛モデルの素顔』1955年(昭和30年)5月号で紹介。
- 奇譚クラブもモデル募集に応募してきた。自称松竹女優(エキストラ程度)。M性は低いモデル[5]。
- 1953年(昭和28年)に京都府相楽郡笠置町有市の滝でロケ中に、川にはまってしまい、あわや大惨事に[5]。
- 辻村隆・塚本鉄三『野外の責場撮映にて』奇譚クラブ1953年(昭和28年)10月号, 口絵
- 村田那美子『手記 初めて縛られて』奇譚クラブ1954年(昭和29年)4月号
杉芙美
1953年(昭和28年)末から登場
- 辻村隆『緊縛モデルの素顔』1955年(昭和30年)3月号で紹介。
- スレンダーな体型。化粧がうまい。M性は低い職業ヌードモデル[1]。
- 杉芙美、村田那美子、坂口利子の連縛は、当初2名の予定が全員出席して急遽3名[1]。
坂口利子
- 辻村隆『緊縛モデルの素顔』1955年(昭和30年)5月号で紹介。
- 1953年(昭和28年)5月に始めて会う[5]。
- 反歯で毛深い。猿轡美人。何回かの撮影時にはM性は全くないが、撮影後にきまって情熱的なSMへの思いを書いてきた[5]。
- 坂口利子
伊吹真佐子
- 1954年(昭和29年)頃から登場。春日ルミとのコンビで頻出。M性強い。
- 辻村隆『緊縛モデルの素顔』1955年(昭和30年)4月号で紹介。
- 長野県諏訪の出身で、奈良県磯城郡に母と妹の3人で住む。週に3回洋裁の勉強に大阪に通うことを口実に奇譚クラブのモデルをしている[6]。
- 「川端さんは牝鹿を思わせたが、伊吹さん・・牝豚を感じた」「時と共にこの第一印象を訂正」[6]。
- 縄の四十八手のモデル[6]。
- 『後手縛りの二態』奇譚クラブ1954年(昭和29年)5月号、口絵
- 辻村隆『責め撮影行 野外縛りの記録』奇譚クラブ1954年(昭和29年)9月号, p200。
春日ルミ
- 1954年(昭和29年)中頃から登場。70年代には精力的に執筆活動。
- 伊吹真佐子とのコンビでしばしば女王様役で出ている。
- 「春日ルミ・構成」の表記もあるので、主体的に緊縛に関与していた模様。
- 実際に春日ルミの責めを受けていたという男性の間接的な証言があるので[注 3]、私生活でも女王であった模様。
- 春日ルミ『縄を用いない縛り遊戯の連続写真』奇譚クラブ1954年(昭和29年)7月号
- 春日ルミ『被虐モデルの出現を待つ 唸りを生じてとぶ鞭』奇譚クラブ1954年(昭和29年)7月号
- 春日ルミ『気まぐれな弄び・尻に敷く・鞭打ち・足台』奇譚クラブ1954年(昭和29年)8月号
- 春日ルミ『お姉さま余りいじめないでネ』奇譚クラブ1954年(昭和29年)9月号
- 春日ルミ『ワン公に対するお仕置き 嘲弄』奇譚クラブ1954年(昭和29年)9月号
- 春日ルミ『圧倒と屈服 春日ルミ嬢得意のポーズ』奇譚クラブ1954年(昭和29年)10月号
- 春日ルミ『洗面とアブプレイ・お仕置き (海老・肩車)』奇譚クラブ1954年(昭和29年)12月号
- 春日ルミ『春日・伊吹名コンビ写真 ひき倒す・竿でこじる』奇譚クラブ1954年(昭和29年)12月号
- 春日ルミ『ゴムマリを用いた野外縛りの出来るまで 』奇譚クラブ1954年(昭和29年)12月号
- 春日ルミ『春日ルミに関する十二章』奇譚クラブ1955年(昭和30年)1月号
- 春日ルミ『まぞひすちっく・ふぉと・せくしょん』奇譚クラブ1955年(昭和30年)2月号
- 春日ルミ『まぞひすちっく・ふぉと・せくしょん 足を舐めさせる・殴らせる』奇譚クラブ1955年(昭和30年)3月号
- 春日ルミ『マゾフォト 「どうだい、この座り心地は?」「動くんじゃない」』奇譚クラブ1955年(昭和30年)5月号
- 守口栄吉『ラブレター春日ルミ様へ』奇譚クラブ1956年(昭和31年)4月号
- 籔中友三郎『春日ルミ『様まいる』奇譚クラブ1956年(昭和31年)8月号
- 春日ルミ『引廻し』奇譚クラブ1956年(昭和31年)10月号
- 根岸悦夫『春日ルミ女史に奉仕した三日間』奇譚クラブ1962年(昭和37年)1月号
- 芳野眉美『アルバム列伝』奇譚クラブ1964年(昭和39年)5月号, p162
- 春日ルミ『告白 私の尻の下になった男達』奇譚クラブ1973年(昭和48年)8月号
- 春日ルミ『私が手玉に取った紳士』奇譚クラブ1973年(昭和48年)10月号
- 春日ルミ『昼は紳士で夜は奴隷』奇譚クラブ1973年(昭和48年)11月号
- 春日ルミ『舐陰と神酒授与のことなど』奇譚クラブ1974年(昭和49年)1月号
- 春日ルミ『舌人形とのMプレイ』奇譚クラブ1974年(昭和49年)2月号
- 春日ルミ『神酒直接授与のことなど』奇譚クラブ1974年(昭和49年)3月号
川辺砂登子
その他
荻千枝子(千恵子)、 小沼正三、 加賀利江子 佐賀美智子、 須川令子、 高瀬忍、 中富綾子、 中林カオル、 南泰子、 原桐咲代、
白表紙時代(天星社時代)の主なモデル
-
大塚啓子 奇譚クラブ 1958年(昭和33年)7月号より
-
絹川文代 奇譚クラブ 1958年(昭和33年)12月号より
-
梨花悠紀子 奇譚クラブ 1961年(昭和36年)3月号より
-
山原清子 奇譚クラブ 1965年(昭和40年)2月号より
大塚啓子
- 1957年(昭和32年)頃から現れる。奇譚クラブで活動期間の最も長いモデルの一人。
- 一時期、裏窓(1961年(昭和36年)6月、7月号など)にもモデルとして出ていた[7]。
- 「本業の玩具問屋の女店員を止めて、遂々本職のモデルに転向した。ミナト神戸のRスタジオでピカ一」[8]
- 太田好三『大塚啓子嬢の亀甲型縛礼讃』奇譚クラブ1961年(昭和36年)8月号
- 大塚啓子『モデルの手記 いけにえの幸福』奇譚クラブ1963年(昭和38年)5月号
- 長門弘『大塚啓子さんへ 柔肌に恋う』奇譚クラブ1964年(昭和39年)3月号
- 奈良文夫『大塚啓子さんまいる』奇譚クラブ1964年(昭和39年)4月号
- [芳野眉美]]『アルバム列伝』奇譚クラブ1964年(昭和39年)5月号, p162
- 大塚啓子『青写真に埋もれて』奇譚クラブ1966年(昭和41年)3月号
- 山本一章『カメラルポ この女と 大塚啓子の巻』奇譚クラブ1967年(昭和42年)5月号
- 藤川伊佐男『雪国からの春便り「大塚啓子お姉様へ」』奇譚クラブ1967年(昭和42年)6月号
- 大塚啓子『琵琶湖畔女相撲取組フォト』奇譚クラブ1968年(昭和43年)3月号
- 大塚啓子『永遠のマゾの灯』奇譚クラブ1973年(昭和48年)1月号
- キトー淳『大塚啓子様を慕う 女王ぶり今ひとたび』奇譚クラブ1973年(昭和48年)3月号
- 大塚啓子『手記「実験動物」としての私』奇譚クラブ1973年(昭和48年)4月号
- 西行呟次郎『大塚啓子さんに憧れた頃』奇譚クラブ1973年(昭和48年)6月号
絹川文代
- 1950年代後半に活躍したモデル。MのみならずS役もこなしていた。
- ダンサーをしていた[9]。
- 絹川文代『モデルの独り言「紅色の自画像」』奇譚クラブ1960年(昭和35年)4月号, p120
- 小林清『緊縛モデル「絹川文代論」』奇譚クラブ1960年(昭和35年)8月号
- 小林清・絹川文代『緊縛の女王・絹川文代さんに対する二十の質問とその回答』奇譚クラブ1960年(昭和35年)11月号, p62
- 逢坂太郎『絹川文代さんへ モデルとしての美貌』1963年(昭和38年)7月号
- 小雅田勇『女体緊縛美各論 妖艶の美女、絹川文代 』1973年(昭和48年)6月号, p178
- 絹川文代『Mフォトシリーズ お仕置き』奇譚クラブ1974年(昭和49年)4月号
- 絹川文代『Mフォト 苦悦する腰掛け』奇譚クラブ1974年(昭和49年)5月号
梨花悠紀子
辻村隆・塚本鉄三のお気に入りのモデル。1960年(昭和35年)12月号から1964年(昭和39年)8月号ぐらいまで登場
- 辻村隆の中学同級生の妹。1960年(昭和35年)当時19才[10](逆算すると1941年(昭和16年)頃の生まれ)。東京の化粧品会社のチャームガールとなり引退[11]。1965年(昭和40年)年に結婚予定と述べている[12]。
- 辻村隆『カメラルポ「観賞用女性」』奇譚クラブ1960年(昭和35年)12月号, p71で初登場。
- 塚本鉄三『緊縛フオト撮影の実際』奇譚クラブ1961年(昭和36年)6月号, p205 のモデル
- 塚本鉄三『緊縛フオト撮影の実際 亀甲縛りの一例』奇譚クラブ1961年(昭和36年)8月号, 口絵 のモデル
- 塚本鉄三『緊縛フオト撮影の実際 高手小手縛りの一例』奇譚クラブ1961年(昭和36年)9月号, 口絵 のモデル
- 塚本鉄三『緊縛フオト撮影の実際 若奥様の脱虐ムード』奇譚クラブ1961年(昭和36年)11月号, p107 のモデル
- 藤本久『梨花悠紀子と猿轡 』奇譚クラブ1961年(昭和36年)12月号
- 塚本鉄三『緊縛フオト撮影の実際 首縄と後手縛り』奇譚クラブ1962年(昭和37年)4月号, 口絵 のモデル
- 梨花悠紀子『近況に寄せて』奇譚クラブ1965年(昭和40年)6月号, p16
- 夜乃探郎『小説 梨花悠紀子』奇譚クラブ1965年(昭和40年)8月号
- 辻村隆『SMカメラハント』奇譚クラブ1966年(昭和41年)3月号に登場。
- 小雅田勇『憂愁の佳人 梨花悠紀子』奇譚クラブ1973年(昭和48年)5月号, p178
- きくかおる『それは女体への愧らい』奇譚クラブ1973年(昭和48年)6月号, p236
- 植村甲子一『憧れの永遠のM女 梨花悠紀子』奇譚クラブ1973年(昭和48年)8月号
- きくかおる『汝は梨園の名花 永遠の美女をたたえる』奇譚クラブ1973年(昭和48年)8月号, p186
- きくかおる『私説・梨花悠紀子「誰そ彼れ」のひと』奇譚クラブ1974年(昭和49年)1月号
山原清子
- 愛知県出身の芸妓。SM好きの最初の旦那の影響で15才の時から入れ墨を彫る。1942年(昭和17年)ぐらいの生まれ[13]。
- Mのみだけでなく、Sもこなしていた。
- 1964年(昭和39年)12月号から1966年(昭和41年)7月号まで分譲写真が発売[7]。
- 1964年(昭和39年)12月号, p190の辻村隆カメラハントに登場。
- 1965年(昭和40年)頃、賀山茂が奇譚クラブ主催の「山原清子の刺青完成会」に出席している。
- 1965年(昭和40年)9月27日、 山原清子後援会主催の第2回座談会並びにSMプレイ鑑賞会[14]。
- 京都女斗菊『山原清子さんの刺青フォトの感銘』奇譚クラブ1965年(昭和40年)6月号
- 辻村隆『辻村隆・山原清子対談 宴はてて』奇譚クラブ1966年(昭和41年)1月号, p198[注 4]
- 赤井保『山原清子に寄せる幻想』奇譚クラブ1969年(昭和44年)2月号
- 1969年(昭和44年)10月号の「編集だより」には「スナックバーのマダムとしておさまっている」とある。
- 1971年(昭和46年)4月号のサロン我楽記にスナック訪問記が載っている。
- 山原清子『刺青と女体責め』奇譚クラブ1973年(昭和48年)9月号
東浦ひかる
- 東浦ひかる
- 辻村隆『私を責めてください』奇譚クラブ1961年(昭和36年)5月号, p68
- 辻村隆『雑踏の中の孤独』奇譚クラブ1961年(昭和36年)11月号, 口絵
- 東浦ひかる『私の好きな責め方』奇譚クラブ1962年(昭和37年)4月号
- 水木清一『通信 東浦ひかる様と竹野ひろ子様へ』奇譚クラブ1962年(昭和37年)8月号
その他
愛川悦子、 熱海容子、 新井マリ子、 大井小夜子(千代子)、 加茂良子、 雲井久子、 湖田平雄、 桜井葉子、 竹野ひろ子、 館典子、 田中芳代、 津川路子、 中塚文子、 長野良子、 花坂道子、 花本京子、 春丘リル、 平野笑子、 藤田節子、 前本妙子 益田房子、 村井知可子、 山路ミヨ子、 四方清美、 若原明子、
暁出版時代の主なモデル
関谷富佐子
- 辻村隆・塚本鉄三のお気に入りのモデル。
- 辻村隆『SMカメラハント』奇譚クラブ1967年(昭和42年)6月号
- 塚本鉄三『ルポルタージュ「妖精を鞭打つ』奇譚クラブ1970年(昭和45年)2月号, p170
- 室井亜砂路『イメージギャラリー 関谷富佐子慟哭図』奇譚クラブ1972年(昭和47年)10月号
左近麻理子
谷山久美子
- 山本一章『カメラルポ この女と 谷山久美子の巻』奇譚クラブ1968年(昭和43年)6月号, p224
- 辻村隆『SMカメラハント マゾヒスティク・アニマル』奇譚クラブ1970年(昭和45年)9月号, p102
- 辻村隆『SMカメラハント 凄絶!片足逆さ吊り』奇譚クラブ1971年(昭和46年)1月号, p154
- T.T生『谷山久美子を縛る』1971年(昭和46年)3月号
- 花村次郎『憧れのメス犬 谷山久美子賛歌』1971年(昭和46年)5月号
- 谷山久美子『告白 私とプレイした人たち』1971年(昭和46年)12月号, p150
- 中島貞夫監督「性倒錯の世界」(東映, 1971) に出演。
- 谷山久美子『告白 私とプレイした人たち』1972年(昭和47年)1月号
- 谷山久美子『告白 私とプレイした人たち』1972年(昭和47年)3月号
- 扇由紀夫『谷山久美子姉告白 「私とプレイした人達」雑感』1972年(昭和47年)4月号
前田真知子
- 利根川五郎『慕情告白 前田真知子はどこに? 』奇譚クラブ1972年(昭和47年)3月号
- 前田真知子『告白 京都慕情』奇譚クラブ1972年(昭和47年)4月号
- 森山周一『私の理想の被虐好女 前田真知子のこと』SM哀願娘 9号 (NEO出版)
- 前田真知子、
渡部好美
- 中島貞夫監督「性倒錯の世界」(東映, 1971) に出演。
- 渡部好美『告白 私はどうしてこんな女に?』奇譚クラブ1970年(昭和45年)4月号
- 辻村隆『SMカメラハント』奇譚クラブ1970年(昭和45年)10月号に登場。
- 渡部好美『マゾ願望の女』奇譚クラブ1970年(昭和45年)12月号, p10
- 渡部好美『浣腸プレーに魅せられて』奇譚クラブ1971年(昭和46年)6月号, p42
- 豊田二浪『渡部好美夫人に捧げる憧憬詩』奇譚クラブ1972年(昭和47年)3月号
- 渡部好美『好美のお便り』奇譚クラブ1972年(昭和42年)5月号
- 室井亜砂路『イメージギャラリー 渡部好美喜悦の図』奇譚クラブ1973年(昭和48年)5月号
高村浩子
- 高村浩子『告白 被虐こそ私の夢』奇譚クラブ1971年(昭和46年)5月号
- 高村浩子『悦虐のポーズ』奇譚クラブ1971年(昭和46年)9月号
- 高村浩子『M女通信』奇譚クラブ1971年(昭和46年)12月号
- 高村浩子『プレイに徹したい』奇譚クラブ1972年(昭和47年)2月号
- 高村浩子『M女通信 私は誘拐されたい』奇譚クラブ1972年(昭和47年)3月号
- 高村浩子『M女通信 被虐の初夢』奇譚クラブ1972年(昭和47年)4月号
- 高村浩子『私は縛りのモデルになりたい』奇譚クラブ1972年(昭和47年)5月号
- 高村浩子『M女通信 お便りにお答えして』奇譚クラブ1972年(昭和47年)7月号
- 責苦与之助『高村浩子さんを責める』奇譚クラブ1972年(昭和47年)8月号
- 高村浩子『M女通信 雨の降るある日のこと』奇譚クラブ1972年(昭和47年)10月号
- 室井亜砂路『イメージギャラリー 高村浩子に想う』奇譚クラブ1972年(昭和47年)6月号
- 高村浩子『黒い乳房に答えて』奇譚クラブ1973年(昭和48年)4月号
- 高村浩子『M女通信 雨の日の妄想』奇譚クラブ1973年(昭和48年)9月号
- 高村浩子『M女通信 唄を忘れたカナリヤの唄』奇譚クラブ1974年(昭和49年)3月号
- 塚本鉄三『カメラとペンのルポ 憂愁と孤独の住人 高村浩子の巻』奇譚クラブ1974年(昭和49年)6月号
- 高村浩子『禁断の木の実を食べてしまった私』奇譚クラブ1974年(昭和49年)9月号
深田菊子
- 深田菊子
- 1971年(昭和46年)の分譲写真に登場[7]。
- 1974年(昭和49年)10月に塚本鉄三と始めて会う。大阪北区に住んでおり身長163センチで放尿責めを嗜好[15]。
- 1975年(昭和50年)11月に結婚[15]。
- 塚本鉄三『水車小屋緊縛記(深田菊子の巻)』奇譚クラブ1972年(昭和47年)3月号, p144
- 深田菊子『奇クサロン:被虐の悦び』奇譚クラブ1974年(昭和49年)12月号, p284
- 塚本鉄三『捨身の女、菊子のすべて』奇譚クラブ1975年(昭和50年)2月号, p30で結婚前の塚本鉄三とのプレイが紹介されている。
中河恵子
西条紀代
山口艶子
その他
荒尾慶子、 笠井奈保子、 金原奈加子、 川越美佐子、 左近麻里子、 佐々木真弓、 五月亜紀子、 座間明子、 鈴木千鶴子、 苗木陽子、 福井桃子、 堀貴代子、 美木乃々子、 矢島靖子 安井喜久子、
引用文献
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 辻村隆『緊縛モデルの素顔』1955年(昭和30年)3月号
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 辻村隆『モデル女のまぞひずむ』奇譚クラブ1954年(昭和29年)10月号, p274
- ↑ 3.0 3.1 覆面子白頭巾『緊縛フオトと緊縛モデル夜話』奇譚クラブ1959年(昭和34年)4月臨時増刊 SADO特集号第2集, p68
- ↑ 辻村隆「話の屑籠」奇譚クラブ1958年(昭和33年)7月号, p34
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 辻村隆『緊縛モデルの素顔』1955年(昭和30年)5月号
- ↑ 6.0 6.1 6.2 辻村隆『緊縛モデルの素顔』1955年(昭和30年)4月号
- ↑ 7.0 7.1 7.2 昭和なつかし奇譚クラブ分譲写真より
- ↑ 辻村隆「話の屑籠』奇譚クラブ1959年(昭和34年)11月号, p20。
- ↑ 小雅田勇『女体緊縛美各論 妖艶の美女、絹川文代 』1973年(昭和48年)6月号, p178
- ↑ 辻村隆『観賞用女性』1960年(昭和35年)12月号, p71
- ↑ きくかおる『それは女体への愧らい』奇譚クラブ1973年(昭和48年)6月号, p236
- ↑ 梨花悠紀子『近況に寄せて』奇譚クラブ1965年(昭和40年)6月号, p16
- ↑ 奇譚クラブ1964年(昭和39年)12月号, p190の辻村隆カメラハント
- ↑ 奇譚クラブ1966年(昭和41年)1月号, p14
- ↑ 15.0 15.1 塚本鉄三『捨身の女、菊子のすべて』奇譚クラブ1975年(昭和50年)2月号, p30
- ↑ 中河恵子『Mに耽溺した頃のこと』奇譚クラブ1973年(昭和47年)5月号, p22