「箕田京二」の版間の差分

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[[箕田京二]]は[[吉田稔]]が[[奇譚クラブ]]の編集人として用いていた名前。ただし、初期には[[須磨利之]]が挿絵画家の変名として[[箕田京二]]、箕田京、箕田京太郎などを使っていたことを考えると、1951年-53年に[[須磨利之]]が[[奇譚クラブ]]の編集人として用いていた名前を、[[須磨利之]]が抜けた後も、[[吉田稔]]がそのまま用いた可能性もある。あるいは、[[箕田京二]]は[[須磨利之]]+[[吉田稔]]の編集者ユニットを現していたのかも知れない<ref>[http://kuroneko2009.bbs.fc2.com/ 懐かしき奇譚クラブ]でのesmeとヒヨコのやりとり。</ref>。
[[箕田京二]]は[[吉田稔]]が[[奇譚クラブ]]の編集人として用いていた名前。ただし、初期には[[須磨利之]]が挿絵画家の変名として[[箕田京二]]、箕田京、箕田京太郎などを使っていたことを考えると、1951年-53年に[[須磨利之]]が[[奇譚クラブ]]の編集人として用いていた名前を、[[須磨利之]]が抜けた後も、[[吉田稔]]がそのまま用いた可能性もある。あるいは、[[箕田京二]]は[[須磨利之]]+[[吉田稔]]の編集者ユニットを現していたのかも知れない<ref>[http://kuroneko2009.bbs.fc2.com/ 懐かしき奇譚クラブ]でのesmeとヒヨコのやりとり。</ref>。
==小野名出来事==
1951年(昭和26年)、[[奇譚クラブ]]1月号から既に[[須磨利之]]の作品が多く見られる。奥付は11月号まで「編集兼発行人:[[吉田稔]]」
1951年(昭和26年)、[[奇譚クラブ]]12月号の奥付が、「発行人:[[吉田稔]]、編集人:[[箕田京二]]」と変わる。
1951年(昭和26年)、[[奇譚クラブ]]1月号から月刊化。
1952年(昭和27年)、[[奇譚クラブ]]5月・6月合併号からA5版に変更。
1953年(昭和28年)、[[奇譚クラブ]]6月号までは[[須磨利之]]の作品が多く見られるが、7月号でほぼ見られなくなる。ただし以降も、奥付は「発行人:[[吉田稔]]、編集人:[[箕田京二]]」のまま。


== 引用文献==
== 引用文献==

2010年6月22日 (火) 09:21時点における版

箕田京二吉田稔奇譚クラブの編集人として用いていた名前。ただし、初期には須磨利之が挿絵画家の変名として箕田京二、箕田京、箕田京太郎などを使っていたことを考えると、1951年-53年に須磨利之奇譚クラブの編集人として用いていた名前を、須磨利之が抜けた後も、吉田稔がそのまま用いた可能性もある。あるいは、箕田京二須磨利之吉田稔の編集者ユニットを現していたのかも知れない[1]

小野名出来事

1951年(昭和26年)、奇譚クラブ1月号から既に須磨利之の作品が多く見られる。奥付は11月号まで「編集兼発行人:吉田稔

1951年(昭和26年)、奇譚クラブ12月号の奥付が、「発行人:吉田稔、編集人:箕田京二」と変わる。

1951年(昭和26年)、奇譚クラブ1月号から月刊化。

1952年(昭和27年)、奇譚クラブ5月・6月合併号からA5版に変更。

1953年(昭和28年)、奇譚クラブ6月号までは須磨利之の作品が多く見られるが、7月号でほぼ見られなくなる。ただし以降も、奥付は「発行人:吉田稔、編集人:箕田京二」のまま。

引用文献

  1. 懐かしき奇譚クラブでのesmeとヒヨコのやりとり。

注釈