「若松孝二」の版間の差分
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1963年(昭和38年)、『甘い罠』で監督デビュー。 | |||
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1976年(昭和51年)、大島渚『愛のコリーダ』のプロデュース。 | |||
2007年(平成19年)、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』が第20回東京国際映画祭にて「日本映画・ある視点 作品賞」を受賞。2008年の第58回ベルリン国際映画祭において最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)と国際芸術映画評論連盟賞(CICAE賞)を受賞。毎日映画コンクールで監督賞、日本映画評論家大賞で作品賞を受賞。 | |||
2010年(平成22年)、ベルリン国際映画祭出品の『キャタピラー』で主演の寺島しのぶが銀熊賞を受賞。 | |||
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2010年5月5日 (水) 11:03時点における版
わかまつ こうじ、1936年(昭和11年)4月1日-
活動内容
別名
略歴
1936年(昭和11年)4月1日、宮城県遠田郡涌谷町に生まれる[1]。
1963年(昭和38年)、『甘い罠』で監督デビュー。
1965年(昭和40年)、『壁の中の秘事』(若松プロダクション)がベルリン国際映画祭に出品[注 1]。
1976年(昭和51年)、大島渚『愛のコリーダ』のプロデュース。
2007年(平成19年)、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』が第20回東京国際映画祭にて「日本映画・ある視点 作品賞」を受賞。2008年の第58回ベルリン国際映画祭において最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)と国際芸術映画評論連盟賞(CICAE賞)を受賞。毎日映画コンクールで監督賞、日本映画評論家大賞で作品賞を受賞。
2010年(平成22年)、ベルリン国際映画祭出品の『キャタピラー』で主演の寺島しのぶが銀熊賞を受賞。
エピソード
代表作
引用文献
注釈
- ↑ 西ドイツの映画業者が独自に出品したので「国辱もの」と物議をかもす。