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1907年(明治40年)、'''岸たまき'''と結婚。翌年、長男が誕生<ref name="yumejiryouran"></ref>。 | 1907年(明治40年)、'''岸たまき'''と結婚。翌年、長男が誕生<ref name="yumejiryouran"></ref>。 | ||
1909年(明治42年) | 1909年(明治42年)、岸たまきと離婚<ref group="注">ただし、岸たまきとはその後も同棲・別離を繰り返しながらしばらく関係が続く。</ref>。 | ||
1910年(明治43年)、'''長谷川カタ'''<ref group="注">『'''宵待草'''』のモデル。</ref>と出会う。 | 1910年(明治43年)、'''長谷川カタ'''<ref group="注">『'''宵待草'''』のモデル。</ref>と出会う。 |
2018年8月12日 (日) 13:37時点における版
せい めい、19??年(昭和??年)-
概要
別名
竹久夢二、竹久茂次郎(本名)
略歴
1884年(明治17年)9月17日、岡山県に生まれる。
1901年(明治34年)、家出して上京。翌年、早稲田実業学校に入学[1]。
1907年(明治40年)、岸たまきと結婚。翌年、長男が誕生[1]。
1909年(明治42年)、岸たまきと離婚[注 1]。
1910年(明治43年)、長谷川カタ[注 2]と出会う。
1921年(大正10年)7月、佐々木カネヨとその母と共に渋谷区宇田川に居をかまえる[1]。
1924年(大正13年)、世田谷「少年山荘」に移る。佐々木カネヨが出産するが夭折。
1925年(大正14年)、佐々木カネヨが自殺未遂。別れる。
1927年(昭和2年)、都新聞[注 4]に自伝的小説『出帆』を連載。佐々木カネヨ[注 5]や伊藤晴雨[注 6]が出てくる。
エピソード
関連作品
- 団鬼六『伊藤晴雨物語』(河出文庫, 1987)
- 団鬼六『外道の群れ―責め絵師伊藤晴雨をめぐる官能絵巻』(1996, 朝日ソノラマ)
- 金森敦子『お葉というモデルがいた―夢二、晴雨、武二が描いた女』(晶文社, 1996)
- 団鬼六『異形の宴―責め絵師伊藤晴雨奇伝』(2000, 朝日ソノラマ)
- 『変貌自在の天性のモデルー佐々木カ子ヨ(カネヨ)』in 平山亜佐子「20世紀破天荒セレブ―ありえないほど楽しい女の人生カタログ」(国書刊行会, 2008)