「百花苑」の版間の差分

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*[[長田英吉]]の[[オサダ・ゼミナール]]も「向島百花園のあたり」でやっていた模様<ref>[http://kazumi.kir.jp/nenpiyou.htm オサダ・ゼミナール]</ref>。
*[[長田英吉]]の[[オサダ・ゼミナール]]も「向島百花園のあたり」でやっていた模様<ref>[http://kazumi.kir.jp/nenpiyou.htm オサダ・ゼミナール]</ref>。
*「よく撮影したのは、向島にある[[百花苑]]という元料亭?の日本家屋でした。」([[田中欣一]], 私信 to U, 2011.1.22)
*「よく撮影したのは、向島にある[[百花苑]]という元料亭?の日本家屋でした。」([[田中欣一]], 私信 to U, 2011.1.22)
*[[杉浦則夫]]の記憶では「廃業した割烹」「広い庭と幾部屋もある割烹」で「たしか看板には『'''割烹百花苑'''』とあった」そうである<ref name="sugiurashishin">[[杉浦則夫]],  私信 to U, 2014.4.18</ref>。「狭い路地をへだてた塀の内側から人々のざわめきが聞こえ」たということなので<ref name="sugiurashishin"></ref>、「向島にたくさんあった割烹旅館の中の1つ」だったのかもしれない。
*「私も何度か使ったことがあります。最初はまだ営業中の和風旅館の端の部屋を撮影場所として借りてましたが、程なく旅館は廃業となり、庭も自由に使えるようになって、部屋の壁も穴を空けたり、廃屋っぽく演出出来るようになっていきました。」([[志摩紫光]]、mixiでのやりとり。2015.10.1)
*「私も何度か使ったことがあります。最初はまだ営業中の和風旅館の端の部屋を撮影場所として借りてましたが、程なく旅館は廃業となり、庭も自由に使えるようになって、部屋の壁も穴を空けたり、廃屋っぽく演出出来るようになっていきました。」([[志摩紫光]]、mixiでのやりとり。2015.10.1)



2015年10月1日 (木) 16:49時点における版

概要

東京都墨田区向島にある江戸時代から続く梅で有名な庭園、および建物を指す。大正時代に泉鏡花などがしばしば会合に用いており文化人の集まるサロンのような存在だった。伊藤晴雨も泉鏡花の会に参加している。戦後、多くの緊縛師らが「百花苑」を撮影やショーなどに用いているが、これが大正時代の建物と同じものなのか、あるいは「向島にたくさんあった割烹旅館の中の1つ」を意味するのか不明な部分がある。

別名

百花園

所在地

東京都墨田区向島

歴史

(庭園の歴史と割烹旅館の歴史が交じっているので注意)

江戸文政期(1804年〜)、骨とう商を営んでいた佐原鞠塢が文人墨客の助けを得て、元旗本、多賀氏の屋敷跡に花園を開園。

1919年(大正8年)7月、「怪談会」が催され、泉鏡花、平山芦江、三宅孤軒、久保田万太郎、錦城斎典山、伊井容峰、花柳章太郎と共に、伊藤晴雨が怪談を一席披露している[1]

1938年(昭和13年)、小倉未亡人から東京市に花園を寄付。

1974年(昭和49年)6月26日、濡木痴夢男SMキングの撮影を百花苑にておこなっている[2]

1976年(昭和51年)11月14日、割烹旅館の百花園で開かれた星野小麿が主催する第1回「解語の花」で枷井克哉濡木痴夢男が出会う。

1978年(昭和53年)、国の名勝及び史跡の指定を受ける。

現在、東京都の都立庭園。

エピソード

  • 「四季百花の乱れ咲く園」という意味で百花園と名づけられた。
  • 向島は江戸時代から花街として有名で多くの割烹が存在した。
  • 「喜多野家の別荘」と泉鏡花が記している[3]
  • 長田英吉オサダ・ゼミナールも「向島百花園のあたり」でやっていた模様[4]
  • 「よく撮影したのは、向島にある百花苑という元料亭?の日本家屋でした。」(田中欣一, 私信 to U, 2011.1.22)
  • 杉浦則夫の記憶では「廃業した割烹」「広い庭と幾部屋もある割烹」で「たしか看板には『割烹百花苑』とあった」そうである[5]。「狭い路地をへだてた塀の内側から人々のざわめきが聞こえ」たということなので[5]、「向島にたくさんあった割烹旅館の中の1つ」だったのかもしれない。
  • 「私も何度か使ったことがあります。最初はまだ営業中の和風旅館の端の部屋を撮影場所として借りてましたが、程なく旅館は廃業となり、庭も自由に使えるようになって、部屋の壁も穴を空けたり、廃屋っぽく演出出来るようになっていきました。」(志摩紫光、mixiでのやりとり。2015.10.1)

引用文献

  1. 斎藤夜居伝奇伊藤晴雨』(豊島書房, 1966)
  2. 濡木痴夢男仕事メモ
  3. 泉鏡花『私の事』(1920)
  4. オサダ・ゼミナール
  5. 5.0 5.1 杉浦則夫, 私信 to U, 2014.4.18

注釈

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