「曽我部泰」の版間の差分

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[[画像:sokabe.jpg|250px|thumbnail|[[曽我部泰]]『'''武家妻女無残'''』in [[耽美館]]編『'''耽美の発見'''』([[耽美館]], 1969)より。]]
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'''そかべ しん'''(生年不詳)、戦後すぐに名前の残る絵師。60年代には[[裏窓]]に多くの挿絵。[[SMセレクト]]にも名が残る。[[耽美館]]版「[[花と蛇]]」の挿絵も。
'''そかべ しん'''(生年不詳)、挿絵画家[[冨賀正俊]]の変名。。60年代には[[裏窓]]に多くの挿絵。[[SMセレクト]]にも名が残る。[[耽美館]]版「[[花と蛇]]」の挿絵も。


==概要==
==概要==
絵師。「實話と小説」1949年(昭和24年)などに名が残る。60年代には[[裏窓]]に多くの挿絵。[[SMセレクト]]にも挿絵。
絵師。<ref>[http://ameblo.jp/yojiro/entry-11781303307.html みずすまし亭通信]</ref>「實話と小説」1949年(昭和24年)などに名が残る。60年代には[[裏窓]]に多くの挿絵。[[SMセレクト]]にも挿絵。


==別名==
==別名==
[[富賀正俊]]
[[冨賀正俊]]、[[富賀正俊]]


==略歴==
==略歴==
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==作品==
==作品==
*「實話と小説」1949年(昭和24年)4月1日号に挿絵。
*小島政二郞『'''戀愛悲歌 美しき雷鳴'''』in 「面白倶楽部」1948年(昭和23年)7月(光文社)に[[冨賀正俊]]で挿絵。
*「實話と小説」1949年(昭和24年)4月1日号に[[曽我部泰]]名で挿絵。
*中野實『'''都会の砂漠'''』([[桃源社]], 1956)(装幀:[[冨賀正俊]])
*海老沢七郎『'''柔肌切支丹'''』[[裏窓]]1962年(昭和37年)10月号の挿絵。
*海老沢七郎『'''柔肌切支丹'''』[[裏窓]]1962年(昭和37年)10月号の挿絵。
*丸亀惠史『'''奥州犯科録より あわれ雪路'''』[[裏窓]]1962年(昭和37年)11月号の挿絵。
*丸亀惠史『'''奥州犯科録より あわれ雪路'''』[[裏窓]]1962年(昭和37年)11月号の挿絵。
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*[[団鬼六]]『'''[[花と蛇]](五)'''』([[耽美館]], 1970)(挿絵:[[曽我部泰]])(SM耽美文学シリーズ No.20)
*[[団鬼六]]『'''[[花と蛇]](五)'''』([[耽美館]], 1970)(挿絵:[[曽我部泰]])(SM耽美文学シリーズ No.20)
*[[団鬼六]]『'''[[花と蛇]](六)'''』([[耽美館]], 1970)(挿絵:[[曽我部泰]])(SM耽美文学シリーズ No.21)
*[[団鬼六]]『'''[[花と蛇]](六)'''』([[耽美館]], 1970)(挿絵:[[曽我部泰]])(SM耽美文学シリーズ No.21)
*室谷幸吉『'''カンドウ神父 : 日本人の心の友'''』(女子パウロ会, 1979)に[[冨賀正俊]]で挿絵。
==関連文献==
==関連文献==


==お役たちweb==
==お役たちweb==
 
*[http://www1.tcn-catv.ne.jp/mystery/Gallery7.html 富賀正俊ギャラリー]


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[[Category:1950年代の絵師]]
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2014年7月2日 (水) 08:46時点における版

曽我部泰武家妻女無残』in 耽美館編『耽美の発見』(耽美館, 1969)より。

そかべ しん(生年不詳)、挿絵画家冨賀正俊の変名。。60年代には裏窓に多くの挿絵。SMセレクトにも名が残る。耽美館版「花と蛇」の挿絵も。

概要

絵師。[1]「實話と小説」1949年(昭和24年)などに名が残る。60年代には裏窓に多くの挿絵。SMセレクトにも挿絵。

別名

冨賀正俊富賀正俊

略歴

エピソード

作品

関連文献

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