「関谷富佐子」の版間の差分
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2014年5月16日 (金) 17:50時点における版
せきや ふさこ
概要
奇譚クラブ 暁出版時代のモデル。M性の強い女性だった。塚本鉄三がスカウト。辻村隆・塚本鉄三のお気に入りのモデル。
略歴
1962年(昭和37年)9月21日、苦楽園で待ち合わせ神戸に移動し、塚本鉄三による第1回目の撮影[1]。
1962年(昭和37年)10月6日、西宮市の関谷富佐子の主人の知人宅で塚本鉄三による第2回目の撮影[2]。鞭打ちを希望し、自ら主人とのプレイに使っている革製の鞭を持参。
1962年(昭和37年)10月9日、6日と同じ知人宅で塚本鉄三による第3回目の撮影[3]。激しい鞭打ちプレイ。
1962年(昭和37年)11月20日、第4回目のプレイ[4]。この後しばらく連絡不能となる。塚本鉄三は「忽然として私の前から姿を消してしまった」とある[5]と、辻村隆も「昭和37年の11月30日を最後に、急に消息を絶った」[6]と書いている。
1962年(昭和37年)、奇譚クラブ1962年(昭和37年)12月号、グラビアと『緊縛フォト撮影の実際 若妻をモデルとした構成』[7]。
1963年(昭和38年)、奇譚クラブ1963年(昭和38年)1月号, p144の塚本鉄三『緊縛フォト撮影の実際 笞打ちに悶える媚態』に登場。
1967年(昭和42年)3月、吉田稔に電話がかかって来る。3月10日に甲陽園で辻村隆とのプレイ。吉田稔が写真[6]。
1969年(昭和44年)8月、7年ぶりに塚本鉄三に誘いの手紙[5]。尼崎近くのモーテルで録音しながら鞭打ち。
1969年(昭和44年)秋、関谷富佐子の希望で塚本鉄三が逆さ吊りで鞭打ち。
エピソード
関連作品
- 塚本鉄三『緊縛フォト撮影の実際 若妻をモデルとした構成』奇譚クラブ1962年(昭和37年)12月号, p48
- 塚本鉄三『緊縛フォト撮影の実際 笞打ちに悶える媚態』奇譚クラブ1963年(昭和38年)1月号, p144
- 塚本鉄三『緊縛フォト撮影の実際 関谷夫人緊縛日記』奇譚クラブ1963年(昭和38年)2月号, p166
- 塚本鉄三『緊縛フォト撮影の実際 芦屋マダムか白百合夫人か』奇譚クラブ1969年(昭和44年)11月号, p170
- 芳野眉美『アルバム列伝』奇譚クラブ1964年(昭和39年)5月号, p162
- 辻村隆『SMカメラ・ハント』奇譚クラブ1967年(昭和42年)6月号, p26
- 塚本鉄三『緊縛モデルの素顔「狂乱の一夜」関谷富佐子さんを責める』奇譚クラブ1969年(昭和44年)11月号, p154
- 塚本鉄三『ルポルタージュ「妖精を鞭打つ」』奇譚クラブ1970年(昭和45年)2月号, p170
- 室井亜砂路『イメージギャラリー 関谷富佐子慟哭図』奇譚クラブ1972年(昭和47年)10月号
- 古谷由美男『マゾに溺れた美しさ』奇譚クラブ1974年(昭和49年)8月号, 内扉
引用文献
- ↑ 1.0 1.1 1.2 塚本鉄三『緊縛フォト撮影の実際 若妻をモデルとした構成』奇譚クラブ1962年(昭和37年)12月号, p48
- ↑ 2.0 2.1 塚本鉄三『緊縛フォト撮影の実際 笞打ちに悶える媚態』奇譚クラブ1963年(昭和38年)1月号, p144
- ↑ 塚本鉄三『緊縛フォト撮影の実際 関谷夫人緊縛日記』奇譚クラブ1963年(昭和38年)2月号, p166
- ↑ 塚本鉄三『緊縛フォト撮影の実際 芦屋マダムか白百合夫人か』奇譚クラブ1963年(昭和38年)3月号, p170
- ↑ 5.0 5.1 塚本鉄三『緊縛モデルの素顔「狂乱の一夜」関谷富佐子さんを責める』奇譚クラブ1970年(昭和45年)2月号, p154
- ↑ 6.0 6.1 『SMカメラ・ハント』奇譚クラブ1967年(昭和42年)6月号, p26
- ↑ 懐かしき奇譚クラブの「関谷富佐子index」