「川端多奈子」の版間の差分
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2013年12月29日 (日) 18:20時点における版
かわばた たなこ
概要
奇譚クラブ曙書房時代のモデル。B5版時代からモデルをしていたとある。辻村隆が緊縛の構成を本格的にした最初のモデルで、その後も好んで縛った初期のモデル。言い方を変えるならば、川端多奈子との出会いが辻村隆をして、本格的な緊縛術の開発に目覚めさせたとも言える。その辻村隆との最初の出会いは1952年(昭和27年)6月で、その時点で、川端多奈子は既に須磨利之のモデルを1,2回経験していたようだ。M性が強かった。自ら緊縛もしていたようだ。
別名
川端棚子[1]。
略歴
四国の松山の生まれ。大阪の商事会社事務員だったがやがてやめる。
1952年(昭和27年)5月、読者からの質問の返答に、この時に初めて縛られたと応えている[2]。相手は不明。
1952年(昭和27年)6月、辻村隆が初めて会う[1]。3度目の縛りで郊外の一軒家で逆さ吊りにされる[3]。
1952年(昭和27年)、この年の末に販売していた分譲写真、第三篇、第四篇はほぼ川端多奈子がモデル[4]。
1953年(昭和28年)7月、『美しき縛しめ』第1集(構成:美濃村晃、撮影:塚本鉄三)のモデルをしている。
1953年(昭和28年)、奇譚クラブ9月号, グラビアの『縛られた女の美しさ 二女連縛について』で「緊縛担当」をしている。構成:辻村隆、撮影:塚本鉄三、モデル:中富綾子 並川トミ。
エピソード
関連作品
- 奇譚クラブ1952年(昭和27年)9月号に初めて登場[注 1][4]。
- 奇譚クラブ1952年(昭和27年)10月号の写真は、2回目か3回目の撮影のもの[6]。
- 辻村隆『縛った女を寫す』奇譚クラブ1952年(昭和27年)12月号
- 川端多奈子『桃色のベールに包まれて(縛られてみて)』奇譚クラブ1953年(昭和28年)1月号, p86
- 川端多奈子『破った日記帳』奇譚クラブ1953年(昭和28年)2月号
- 川端多奈子『ゆうべ見た夢 破った日記帳より』奇譚クラブ1953年(昭和28年)4月号
- 辻村隆・塚本鉄三『後手と高手小手による緊縛美の考察』奇譚クラブ1953年(昭和28年)4月号, 口絵
- 川端多奈子『吊られた白鳥(破った日記帳より)』1953年(昭和28年)5月号, p108
- 矢作生『川端多奈子さんへ』奇譚クラブ1953年(昭和28年)5月号, p81
- 羽村京子『川端多奈子さんへ』奇譚クラブ1953年(昭和28年)5月号
- 川端多奈子『羽村京子さんへ』奇譚クラブ1953年(昭和28年)7月号
- 奇譚クラブ1953年(昭和28年)9月号, グラビアの『縛られた女の美しさ 二女連縛について』で「緊縛担当」
- 川端多奈子『縛られた女ばかりの座談会 』奇譚クラブ1953年(昭和28年)9月号, p164
- 川端多奈子『悦虐に哭く 破った日記より』奇譚クラブ1953年(昭和28年)10月号, p130
- 川端多奈子『悦虐に咽ぶ 』奇譚クラブ1953年(昭和28年)12月号, p102
- 川端多奈子『悦虐に悶える』奇譚クラブ1954年(昭和29年)1月号
- 川端多奈子『痛いと感じた時』奇譚クラブ1954年(昭和29年)4月号
- 川端多奈子『モデルの告白 私の好きな縛られ方』奇譚クラブ1954年(昭和29年)6月号
- 川端多奈子『或る手紙に寄せて』奇譚クラブ1954年(昭和29年)8月号
- 辻村隆『緊縛モデルの素顔』1955年(昭和30年)3月号で紹介。
- 川端多奈子『告白 縄と猿轡』奇譚クラブ1961年(昭和36年)8月号
- 近藤一『川端多奈子を想う』奇譚クラブ1961年(昭和36年)8月号
- 川端多奈子『告白 縄の魅力』奇譚クラブ1961年(昭和36年)9月号
- 近藤一『川端多奈子嬢に「悦虐と愛情と」』奇譚クラブ1962年(昭和37年)1月号
- 川端多奈子『バックナンバー』奇譚クラブ1962年(昭和37年)7月号, p136
- 芳野眉美『アルバム列伝』奇譚クラブ1964年(昭和39年)5月号, p162
引用文献
注釈
- ↑ ただしこれ以前に、分譲フォトでは既に現れていた。