「松井籟子」の版間の差分
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*[[松井籟子]]『'''淫火'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)1月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195301/01/059.html p66]から連載開始。挿絵は[[須磨利之|喜多玲子]]。7月号から挿絵は[[滝麗子|栗原伸]]に変わる。 | *[[松井籟子]]『'''淫火'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)1月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195301/01/059.html p66]から連載開始。挿絵は[[須磨利之|喜多玲子]]。7月号から挿絵は[[滝麗子|栗原伸]]に変わる。 | ||
*[[奇譚クラブの読者座談会|第2回 読者座談会]]『'''[[松井籟子]]女史を囲んで'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)6月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195306/02/110.html p116] | *[[奇譚クラブの読者座談会|第2回 読者座談会]]『'''[[松井籟子]]女史を囲んで'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)6月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195306/02/110.html p116] | ||
*[[松井籟子]]『'''私のもとめた男'''』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年) | *[[松井籟子]]『'''私のもとめた男'''』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)1月号から7月号まで連載。挿絵は[[滝麗子]]。 | ||
*[[松井籟子]]『'''淫雨熄まず'''』[[風俗草紙]]1954年(昭和29年)1月号, [http://nawa-art.com/etc/fs/FS195401/01/026.html p37]から連載開始。挿絵は[[喜多玲子]]。 | *[[松井籟子]]『'''淫雨熄まず'''』[[風俗草紙]]1954年(昭和29年)1月号, [http://nawa-art.com/etc/fs/FS195401/01/026.html p37]から連載開始。挿絵は[[喜多玲子]]。 | ||
*[[松井籟子]]『'''赤い花は泣いている(4)'''』[[奇譚クラブ]]1956年(昭和31年)7月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195607/01/043.html p46]。挿絵は[[北原純子]]。 | *[[松井籟子]]『'''赤い花は泣いている(4)'''』[[奇譚クラブ]]1956年(昭和31年)7月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195607/01/043.html p46]。挿絵は[[北原純子]]。 |
2011年10月9日 (日) 21:45時点における版
まつい らいこ、19xx年(昭和xx年)
活動内容
文筆家。本物の女性作家。奇譚クラブや風俗草紙に執筆し、須磨利之とも交友が深かった[1]。
別名
エピソード
代表作
- 松井籟子『肉体の陰火』奇譚クラブ1951年(昭和26年)1月号。挿絵は須磨としゆき。
- 松井籟子『恋責め』挿絵は喜多玲子、奇譚クラブ1951年(昭和26年)3月号(要確認)
- 松井籟子『悲恋の笞刑』挿絵は喜多玲子、奇譚クラブ1952年(昭和27年11月号, p20
- 松井籟子『淫火』奇譚クラブ1953年(昭和28年)1月号, p66から連載開始。挿絵は喜多玲子。7月号から挿絵は栗原伸に変わる。
- 第2回 読者座談会『松井籟子女史を囲んで』奇譚クラブ1953年(昭和28年)6月号, p116
- 松井籟子『私のもとめた男』奇譚クラブ1954年(昭和29年)1月号から7月号まで連載。挿絵は滝麗子。
- 松井籟子『淫雨熄まず』風俗草紙1954年(昭和29年)1月号, p37から連載開始。挿絵は喜多玲子。
- 松井籟子『赤い花は泣いている(4)』奇譚クラブ1956年(昭和31年)7月号, p46。挿絵は北原純子。
- 松井籟子『赤い花は泣いている(最終回)』奇譚クラブ1956年(昭和31年)7月号, p86。挿絵は北原純子。
- 松井籟子『密夜―官能惑溺作品集』(あまとりあ社, 1957)
- 松井籟子『自分をハダカにする』奇譚クラブ1959年(昭和34年)5月号, p162から6回連載した告白物。
- 松井籟子『妖花』奇譚クラブ奇譚クラブ1961年(昭和36年)1月号, p116から連載。挿絵は瀧れい子。