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'''きたはら じゅんこ'''、19xx年-
'''きたはら じゅんこ'''、19xx年-


==活動内容==
==概要==
絵師。文筆家。
絵師。文筆家。1950年代の後半、[[天星社]]時代の[[奇譚クラブ]]で活発に作品を発表していた絵師。小説も書いている。女性絵師として紹介されているが、実際に女性だったのか、男性の変名だったのかは不明。


==別名==
==別名==


==略歴==
==略歴==
1956年(昭和31年)、[[奇譚クラブ]]12月号の[http://nawa-art.com/backnumber/1950/195612/025.html 読者通信]に[[北原純子]]の投稿。「好きな画家は[[四馬孝|四馬]]氏で。読み物では青葉慎一さん」「私は病身なので何時も臥せっていて」とある。
1957年(昭和32年)、[[奇譚クラブ]]8月号の[http://nawa-art.com/backnumber/1950/195708_kkk/IMGP044.html 読者通信]に[[近藤一]]への返答。「従兄弟(に)・・秘密で本誌に寄稿していることが知れて、案の定、叱られてしまいました」とある。


==エピソード==
==エピソード==
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==代表作品==
==代表作品==
*[[北原純子]]『ダルマとファッションモデル』[[奇譚クラブ]]1955年(昭和30年)5月号
*[[北原純子]]『ダルマとファッションモデル』[[奇譚クラブ]]1955年(昭和30年)5月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195505/195505_018.html  グラビア]
*[[北原純子]]・嵯峨紀世(文)『絵物語 華々しき私刑』[[奇譚クラブ]]1956年(昭和31年)8月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195608/01/008.html グラビア]
*[[北原純子]]『壊れ易き獲物』[[奇譚クラブ]]1956年(昭和31年)10月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195610/01/006.html グラビア]
*[[北原純子]]『花嫁受難二題』[[奇譚クラブ]]1957年(昭和32年)1月号
*[[北原純子]]『花嫁受難二題』[[奇譚クラブ]]1957年(昭和32年)1月号
*[[北原純子]]『庭先でのお仕置』[[奇譚クラブ]]1957年(昭和32年)2月号
*[[北原純子]]『庭先でのお仕置』[[奇譚クラブ]]1957年(昭和32年)2月号
*[[北原純子]]『花と朔風』[[奇譚クラブ]]1957年(昭和32年)3月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195703/01/021.html p24](小説)
*[[北原純子]]『花と朔風』[[奇譚クラブ]]1957年(昭和32年)3月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195703/01/021.html p24](小説)
*[[中康弘通]]・案、[[北原純子]]・画『'''女体切腹構成案図譜'''』[[奇譚クラブ][[奇譚クラブ]]1956年(昭和31年)10月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195610/02/157.html p160]に広告。
== 引用文献==
== 引用文献==
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2011年10月25日 (火) 22:15時点における最新版

北原純子 奇譚クラブ 1955年(昭和30年)5月号より

きたはら じゅんこ、19xx年-

概要

絵師。文筆家。1950年代の後半、天星社時代の奇譚クラブで活発に作品を発表していた絵師。小説も書いている。女性絵師として紹介されているが、実際に女性だったのか、男性の変名だったのかは不明。

別名

略歴

1956年(昭和31年)、奇譚クラブ12月号の読者通信北原純子の投稿。「好きな画家は四馬氏で。読み物では青葉慎一さん」「私は病身なので何時も臥せっていて」とある。

1957年(昭和32年)、奇譚クラブ8月号の読者通信近藤一への返答。「従兄弟(に)・・秘密で本誌に寄稿していることが知れて、案の定、叱られてしまいました」とある。

エピソード

代表作品

引用文献

注釈


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