「田中小実昌」の版間の差分
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1947年(昭和22年)5月、渋谷東横デパート4階の軽演劇小屋「東横第二劇場」で劇団「東京フォーリズ」で進行係助手。ラナー多坂のブラを取る係。[[ストリップ]]の極めて初期にあたる。 | 1947年(昭和22年)5月、渋谷東横デパート4階の軽演劇小屋「東横第二劇場」で劇団「東京フォーリズ」で進行係助手。ラナー多坂のブラを取る係。[[ストリップ]]の極めて初期にあたる。 | ||
1966年(昭和41年)、『体当りマンハント旅行』(糸文弘監督、原作:[[豊原路子]] | 1966年(昭和41年)、『体当りマンハント旅行』(糸文弘監督、原作:[[豊原路子]]、横浜マコ、南条ユカ、オスカープロ)のでトルコ風呂のマネージャー役で出演。制作は[[千中ミュージック]]の社長<ref>[http://tanakakomimasadb.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/index.html 田中小実昌データベース]</ref>。[[深井俊彦]]も関与。 | ||
1967年(昭和42年)4月30日、[[名古屋ミュージックホール]]にて『女体易学講座』出演:[[田中小実昌]]、[[祝真理]]<ref name="#12602221435">[https://ameblo.jp/cobanobu/entry-12602221435.html cobanobuのブログ「女体易学講座」]</ref>。 | |||
1970年前後、[[たこ八郎]]のたこ劇団に出演して、新宿の地球座でタコと田中の裸踊りをやった、とある。上演後、ゴールデン街の、田中の贔屓にしていた「前田」、タコの贔屓にしていた「小茶」で飲む、とある<ref>[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062160420?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4062160420 団鬼六『悦楽王』(2010, 講談社)]</ref>。 | 1970年前後、[[たこ八郎]]のたこ劇団に出演して、新宿の地球座でタコと田中の裸踊りをやった、とある。上演後、ゴールデン街の、田中の贔屓にしていた「前田」、タコの贔屓にしていた「小茶」で飲む、とある<ref>[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062160420?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4062160420 団鬼六『悦楽王』(2010, 講談社)]</ref>。 | ||
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*『イザベラね』は[[深井俊彦]]へのオマージュ作品。文中、[[深井俊彦]]は大内先生として登場する。『イザベラね』は、田中が最後に聞いた深井の言葉。[[正邦乙彦]]は小杉、ジプシーローズはナンシーで登場。[[たこ八郎]]の「たこ部屋」の記述も多い。 | *『イザベラね』は[[深井俊彦]]へのオマージュ作品。文中、[[深井俊彦]]は大内先生として登場する。『イザベラね』は、田中が最後に聞いた深井の言葉。[[正邦乙彦]]は小杉、ジプシーローズはナンシーで登場。[[たこ八郎]]の「たこ部屋」の記述も多い。 | ||
==代表作== | ==代表作== | ||
*[[田中小実昌]]、吉村平吉、[[メリー松原]]、[[正邦乙彦]]、樋口四郎『われら線中ストリップ派』in 「'''カストリ復刻版'''」[[日本出版社]], 1975年(昭和50年) | |||
*田中小実昌『イザベラね』(1981, 中央公論社) | *田中小実昌『イザベラね』(1981, 中央公論社) | ||
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2020年6月6日 (土) 12:38時点における最新版
たなか こみまさ、1925年(大正14年)4月29日 - 2000年(平成12年)2月26日
活動内容
作家。翻訳家。ストリップ関係者。
別名
略歴
1947年(昭和22年)、東京大学文学部入学。その後除籍処分。
1947年(昭和22年)5月、渋谷東横デパート4階の軽演劇小屋「東横第二劇場」で劇団「東京フォーリズ」で進行係助手。ラナー多坂のブラを取る係。ストリップの極めて初期にあたる。
1966年(昭和41年)、『体当りマンハント旅行』(糸文弘監督、原作:豊原路子、横浜マコ、南条ユカ、オスカープロ)のでトルコ風呂のマネージャー役で出演。制作は千中ミュージックの社長[1]。深井俊彦も関与。
1967年(昭和42年)4月30日、名古屋ミュージックホールにて『女体易学講座』出演:田中小実昌、祝真理[2]。
1970年前後、たこ八郎のたこ劇団に出演して、新宿の地球座でタコと田中の裸踊りをやった、とある。上演後、ゴールデン街の、田中の贔屓にしていた「前田」、タコの贔屓にしていた「小茶」で飲む、とある[3]。
1979年(昭和54年)、直木賞受賞。
エピソード
- 新宿ゴールデン街(東京都)の常連。
- 『イザベラね』は深井俊彦へのオマージュ作品。文中、深井俊彦は大内先生として登場する。『イザベラね』は、田中が最後に聞いた深井の言葉。正邦乙彦は小杉、ジプシーローズはナンシーで登場。たこ八郎の「たこ部屋」の記述も多い。
代表作
参考資料
注釈