「山中常磐」の版間の差分
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'''やまなかときわ''' | '''やまなかときわ'''、「浮世絵の祖」とも称される[[岩佐又兵衛]]の代表作で17世紀前半の作。縄の描写がしっかりしており、この頃から縄が「二つ折り」にして用いられていたのが分かる。 | ||
==概要== | ==概要== | ||
「浮世絵の祖」とも称される[[岩佐又兵衛]]の代表作で17世紀前半の代表作。 | |||
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2014年8月20日 (水) 19:11時点における最新版
やまなかときわ、「浮世絵の祖」とも称される岩佐又兵衛の代表作で17世紀前半の作。縄の描写がしっかりしており、この頃から縄が「二つ折り」にして用いられていたのが分かる。
概要
「浮世絵の祖」とも称される岩佐又兵衛の代表作で17世紀前半の代表作。
別名
山中常磐物語絵巻
略歴
1578年(天正6年)、山中常磐が織田信長に仕えていた荒木村重の子、あるいは孫として生まれる[1]。
1615年頃、山中常磐が京都から福井に移る。藩主松平忠直の文化人招聘の一貫[1]。
福井在住時に『山中常磐物語絵巻』『浄瑠璃物語絵巻』を制作。
1637年(寛永14年)、徳川家光の娘の婚礼調度制作のために山中常磐は江戸に移る。妻子は福井に残る[1]。
エピソード
代表作
作品集
矢代勝也『岩佐又兵衛作品集―MOA美術館所蔵全作品』(東京美術, 2013.10.1)
引用文献
- ↑ 1.0 1.1 1.2 矢代勝也『岩佐又兵衛作品集―MOA美術館所蔵全作品』(東京美術, 2013.10.1)
注釈