「香山滋」の版間の差分
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1954年(昭和29年) | 1954年(昭和29年)5月、映画『ゴジラ』の原作担当<ref group="注">プロデューサーだった田中友幸が[[香山滋]]のファンで、水爆を象徴するような大怪物という意図で「G作品」の原案とシナリオを[[香山滋]]に飛び込みで依頼。[[香山滋]]は1週間で仕上げる。</ref>。 | ||
1958年(昭和33年)、[[耽奇小説]]に『'''何処かで見た女'''』を発表。 | 1958年(昭和33年)、[[耽奇小説]]に『'''何処かで見た女'''』を発表。 | ||
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*没後間もなく、『幻影城』昭和50年5月号にて追悼特集が組まれた。 | *没後間もなく、『幻影城』昭和50年5月号にて追悼特集が組まれた。 | ||
*1993年から1997年にかけて三一書房から『香山滋全集』が刊行され、ほぼ全ての創作小説が収録された。 | *1993年から1997年にかけて三一書房から『香山滋全集』が刊行され、ほぼ全ての創作小説が収録された。 | ||
*乳房にフェチシズムを感じていたのか、「ソロモンの桃」や「恐怖島」では乳房の[[刺青]]が重要なキーワードになっている。 | |||
==代表作== | ==代表作== | ||
==書籍== | |||
*「オラン・ペンデクの復讐」1947年(昭和22年) | *「オラン・ペンデクの復讐」1947年(昭和22年) | ||
*「海鰻荘奇譚談」1947年(昭和22年) | *「海鰻荘奇譚談」1947年(昭和22年) | ||
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*「遊星人M」1955年(昭和30年)- 1956年(昭和31年) | *「遊星人M」1955年(昭和30年)- 1956年(昭和31年) | ||
*「キキモラ」1957年(昭和32年) | *「キキモラ」1957年(昭和32年) | ||
===雑誌=== | |||
*[[香山滋]]、中野五郎、[[秦豊吉|丸木砂土]]他『'''猟奇実話'''』([[富士書房]], 1952) | |||
===映画=== | |||
*『'''ゴジラ'''』(東宝, 1953.11)(監督:[[小林一三]]、特撮:円谷英二、原作:[[香山滋]]、音楽:伊福部昭、出演:宝田明 河内桃子 平田昭彦 志村喬) | |||
== 引用文献== | == 引用文献== | ||
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<references group="注"/> | <references group="注"/> | ||
== お役たちweb== | == お役たちweb== | ||
*[[貴重な情報発信サイト|昭和なつかし奇譚クラブ分譲写真]] | |||
==つながり== | ==つながり== | ||
2023年11月30日 (木) 07:50時点における最新版
かやま しげる、1904年(明治37年)7月1日 - 1975年(昭和50年)2月7日
活動内容
文筆家。映画『ゴジラ』の原作者としても有名な探偵・怪奇幻想小説家。SM関係では、風俗草紙、耽奇小説、夫婦生活などに作品発表している。
別名
山田鉀治(こうじ、本名)
略歴
1904年(明治37年)7月1日、東京神楽坂に生まれる。
1921年(大正10年)、東京府立四中を卒業[1]
1920年代、法政大学経済学部に入学。
1925年(大正14年)、大蔵省に入省[1]。
1937年(昭和12年)、大蔵省の機関誌『財政』へ投稿した短歌が採用されて以降、短歌作家として活動[注 1]。
1947年(昭和22年)、「オランペンデクの復讐」で小説家デビュー。
1948年(昭和23年)、第1回探偵作家クラブ新人賞を受賞。
1949年(昭和24年)、大蔵省退任[1]。
1954年(昭和29年)、風俗草紙1月号, p122に『不具の妖精』を発表。挿絵は秋吉巒。
1954年(昭和29年)5月、映画『ゴジラ』の原作担当[注 2]。
1958年(昭和33年)、耽奇小説に『何処かで見た女』を発表。
1975年(昭和50年)2月7日、心不全により死去
エピソード
- 没後間もなく、『幻影城』昭和50年5月号にて追悼特集が組まれた。
- 1993年から1997年にかけて三一書房から『香山滋全集』が刊行され、ほぼ全ての創作小説が収録された。
- 乳房にフェチシズムを感じていたのか、「ソロモンの桃」や「恐怖島」では乳房の刺青が重要なキーワードになっている。
代表作
書籍
- 「オラン・ペンデクの復讐」1947年(昭和22年)
- 「海鰻荘奇譚談」1947年(昭和22年)
- 「エル・ドラドオ」1948年(昭和23年)
- 「月ぞ悪魔」1949年(昭和24年)
- 「遊星人M」1955年(昭和30年)- 1956年(昭和31年)
- 「キキモラ」1957年(昭和32年)