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[[画像:akihiroyamada.jpg|150px|thumbnail|山田彬弘 [[裏窓]]1959年(昭和34年)7月号より]]
{{山田彬弘}}
'''やまだ あきひろ'''、
 
==概要==
絵師。[[裏窓]]、[[サスペンスマガジン]]、[[SMファン]]、[[別冊SMファン]]に作品発表。
 
==別名==
[[西村春海]]、[[西村晴海]]
 
==略歴==
1987年(昭和62年)、[[小妻要]]、沢登みよじ、[[春日章|堂昌一]]、[[山田彬弘|西村晴海]]、レオ澤鬼で「艶5人展」発足<ref group="注">ロイヤルサロンギンザにてその後毎年開催。</ref>。
 
==エピソード==
*[[濡木痴夢男]]は「彼は三流どころの倶楽部雑誌にいっぱい描いていた。竹下通りのぼろぼろの木造アパートの三階に住んでいた。中国からの戦地帰りで、奥さんがとてもいい人で、私がいくと、あそこの角の店のお肉がとてもおいしいから食べにいきましょうと誘われ、よくご馳走になった。そうしたら持参した原稿料よりも肉ほうが高いんで、すいませんと謝ったこともある。」と思い出を書いている<ref name="kitanuramado">[[飯田豊一]]『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4846012883/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4846012883&linkCode=as2&tag=iq05-22 '''『奇譚クラブ』から『裏窓』へ''']』([[論創社]], 2013)</ref>。
 
==作品==
*[[島本春雄]]『'''顔の二つある侍'''』[[裏窓]]1959年(昭和34年)7月号, [http://nawa-art.com/etc/uramado/ura_195907/01/081.html p88]の挿絵。
*[[耽美館]]編『'''耽美の発見'''』([[耽美館]], 1969)(発行:[[芳賀書店]])(SM文学別巻。写真と画集。[[曽我部泰]]、[[小日向一夢]]、[[美濃村晃]]、[[丘水仙]]、[[山田彬弘]]、[[堂昌一]]などの作品)
*画集『[[縄と女]]』編集・[[譚奇会]] 1970年12月10日発行 三崎書房
*荘徹也『'''秘楽のSM'''』(挿絵:[[山田彬弘]])(発行:[[譚奇会]]、発売:[[三崎書房]], 1971)
 
== 引用文献==
<references/>
==注釈==
<references group="注"/>
== お役たちweb==
*[http://homepage3.nifty.com/beckcorp/contents/two/second001extra018.html 縄による緊縛の絵画表現者]
 
==つながり==
 
 
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2024年2月6日 (火) 11:57時点における最新版

山田彬弘保存版 SMギャラリーSMマガジン1972年(昭和47年)9月臨時増刊号より

やまだ あきひろ。1950年代から裏窓サスペンスマガジンSMセレクトサスペンス&ミステリーマガジンSMキングSMファンなど幅広いSM雑誌に作品発表。

概要

絵師。裏窓サスペンスマガジンSMセレクト小説SMセレクトSMプレイサスペンス&ミステリーマガジン問題SM小説SMキングSMファン別冊SMファンSMマガジン別冊SMファンなどに作品発表。

別名

山田彬弘 山田泰弘[注 1]

略歴

1973年(昭和48年)5月21日、鬼プロサン出版の企画による箱根での慰労会[1]。出席者は団鬼六美濃村晃堂昌一小日向一夢千草忠夫安芸蒼太郎小妻容子前田寿安沖渉二古正英生東桂史中島喜美織裳雪夫松井籟子蘭光生天堂寺慎山田彬弘曽我部泰佐藤重臣ネコ、マリ。

エピソード

  • 濡木痴夢男は「彼は三流どころの倶楽部雑誌にいっぱい描いていた。竹下通りのぼろぼろの木造アパートの三階に住んでいた。中国からの戦地帰りで、奥さんがとてもいい人で、私がいくと、あそこの角の店のお肉がとてもおいしいから食べにいきましょうと誘われ、よくご馳走になった。そうしたら持参した原稿料よりも肉ほうが高いんで、すいませんと謝ったこともある。」と思い出を書いている[2]

作品

引用文献

  1. SMキング1973年(昭和48年)8月号に紹介記事
  2. 飯田豊一『奇譚クラブ』から『裏窓』へ』(論創社, 2013)

注釈

  1. 絵の類似性からUが独自に判断

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