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[[画像:ToruMiya4.jpg|150px|thumbnail|[[宮トオル]]『'''雪の日に'''』[[SMファンタジア]]1975年(昭和50年)1月号より]] | |||
'''みや とおる'''、1942年(昭和17年)3月5日-2010年(平成22年)4月30日。1942年鹿児島生まれの画家。20代の頃に[[SMファン]]にイラスト作品発表。その後油絵に転向。 | |||
==概要== | ==概要== | ||
画家。80年代以降、油絵画家として有名だが、30才前後にあたる1971年(昭和46年)12月、[[SMファン]]創刊号にイラスト作品を残している。 | 画家。80年代以降、油絵画家として有名だが、30才前後にあたる1971年(昭和46年)12月、[[SMファン]]創刊号にイラスト作品を残している。 | ||
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*[[宮トオル]]『'''家庭教師'''』[[SMフロンティア]]1975年(昭和50年)5月号 | |||
*[[宮トオル]]『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/430926154X/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=430926154X '''白月夜―宮トオル画集''']』([[河出書房新社]], 1991) | *[[宮トオル]]『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/430926154X/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=430926154X '''白月夜―宮トオル画集''']』([[河出書房新社]], 1991) | ||
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画像:ToruMiya05.png|[[SMクラブ]] 1979年(昭和54年)7月号より。 | |||
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みや とおる、1942年(昭和17年)3月5日-2010年(平成22年)4月30日。1942年鹿児島生まれの画家。20代の頃にSMファンにイラスト作品発表。その後油絵に転向。
概要
画家。80年代以降、油絵画家として有名だが、30才前後にあたる1971年(昭和46年)12月、SMファン創刊号にイラスト作品を残している。
別名
宮トオル 宮トウル
略歴
1942年(昭和17年)3月5日、 鹿児島県大島郡伊仙町に生まれる。
1949年(昭和24年)頃、落馬事故の治療のために鹿児島に移り入院治療。
1960年代、浪速短大デザイン科卒業。
1960年代、大阪にて繊維メーカーのためのイラストやファッション専門雑誌などにファッションルポやイラストを寄稿[1] 。
1964年(昭和39年)、カイゲンのロゴマークをデザイン。
1971年(昭和46年)3月、上京[1] 。
1971年(昭和46年) 、玉井敬友と知り合う[1][注 1] 。
1971年(昭和46年)12月、SMファン創刊号にイラスト。
1976年(昭和51年)、いち子夫人と結婚。
1976年(昭和51年)、大島郡伊仙町に27年ぶりの帰島。画家への転向を決意。
1979年(昭和54年)、東京で初のパステル画の個展。
1982年(昭和57年)、油絵に集中。
1991年(平成3年)、「宮トオルふるさと展」
2010年(平成22年)4月30日、永眠。
エピソード
- 幼少の頃の落馬事故で聴覚を失う。
- 「とにかく女にもてまくっており、しかも女好きだった」[2]
代表作
- 宮トオル『家庭教師』SMフロンティア1975年(昭和50年)5月号
- 宮トオル『白月夜―宮トオル画集』(河出書房新社, 1991)
ギャラリー
SMクラブ 1979年(昭和54年)7月号より。
引用文献
注釈
- ↑ 梅田の喫茶「バンビ」で友人に紹介され意気投合。