「式場隆三郎」の版間の差分
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1936年(昭和11年)、千葉県市川市国府台に国府台病院(現在の式場病院)を創設。 | 1936年(昭和11年)、千葉県市川市国府台に国府台病院(現在の式場病院)を創設。 | ||
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1948年(昭和23年)、新たに設立された「日本性教育協会」から[[式場隆三郎]]監修、[[高橋鐵]]編集の「性教育掛図(初級用)」が出版。文部・厚労省の推奨<ref name="dendou">鈴木敏文『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4309241417?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4309241417 '''性の伝道者 高橋鉄]'''』([[河出書房新社]], 1993)</ref>。 | 1948年(昭和23年)、新たに設立された「日本性教育協会」から[[式場隆三郎]]監修、[[高橋鐵]]編集の「性教育掛図(初級用)」が出版。文部・厚労省の推奨<ref name="dendou">鈴木敏文『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4309241417?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4309241417 '''性の伝道者 高橋鉄]'''』([[河出書房新社]], 1993)</ref>。 | ||
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*中学時代に母方の叔父の影響で雑誌「ホトトギス」を知り文学に傾倒<ref name="ichikawa">[http://www.city.ichikawa.lg.jp/library/db/1003.html 市川市立図書館 市川ゆかりの著作家 式場隆三郎]</ref>。 | *中学時代に母方の叔父の影響で雑誌「ホトトギス」を知り文学に傾倒<ref name="ichikawa">[http://www.city.ichikawa.lg.jp/library/db/1003.html 市川市立図書館 市川ゆかりの著作家 式場隆三郎]</ref>。 | ||
*大学時代も吉田璋也らと文化団体を結成、文芸雑誌を刊行。「白樺派」の武者小路実篤、柳宗悦、志賀直哉らに師事<ref name="ichikawa"></ref>。 | *大学時代も吉田璋也らと文化団体を結成、文芸雑誌を刊行。「白樺派」の武者小路実篤、柳宗悦、志賀直哉らに師事<ref name="ichikawa"></ref>。 | ||
* | *[[三島由紀夫]]と交流があり、三島は自らの同性愛的な性的指向を[[式場隆三郎]]に告白している。 | ||
*息子の式場壮吉は日本のレーサーの草分け。式場壮吉夫人は歌手の欧陽菲菲。 | *息子の式場壮吉は日本のレーサーの草分け。式場壮吉夫人は歌手の欧陽菲菲。 | ||
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*[[式場隆三郎]]『'''諸国の民芸'''』(大日本雄弁会講談社, 1947) | *[[式場隆三郎]]『'''諸国の民芸'''』(大日本雄弁会講談社, 1947) | ||
*[[式場隆三郎]]『'''ゴッホ巡礼'''』(学風書院, 1953) | *[[式場隆三郎]]『'''ゴッホ巡礼'''』(学風書院, 1953) | ||
*[[式場隆三郎]]『'''美術の裏窓'''』([[鱒書房]], 1955) | |||
== 引用文献== | == 引用文献== |
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しきば りゅうさぶろう、1898年(明治31年)7月2日 - 1965年(昭和40年)11月21日
概要
精神病理学者。文芸界につながりが深く、ゴッホの研究、山下清の後見人としても有名。東京タイムズ社、ロマンス社、日比谷出版社などの設立にも関与しており、出版の歴史にも深い関係がある。高橋鐵や久保藤吉、伊藤晴雨とも交友関係があった。
別名
略歴
1898年(明治31年)7月2日、新潟県中蒲原郡に生まれる。
1911年(明治44年)、旧制村松中学入学。
1910年代、新潟医学専門学校入学。
1925年(大正14年)、木喰仏の全国調査に参加[1]。
1936年(昭和11年)、千葉県市川市国府台に国府台病院(現在の式場病院)を創設。
1946年(昭和21年)、日刊新聞「東京タイムズ」の創刊に関与。東京タイムズ社内に設立されたロマンス社にも関与。
1948年(昭和23年)、日比谷出版社を創立。
1948年(昭和23年)、新たに設立された「日本性教育協会」から式場隆三郎監修、高橋鐵編集の「性教育掛図(初級用)」が出版。文部・厚労省の推奨[2]。
1950年代、国立西洋美術館の基となる松方コレクション日本復帰運動に力を注ぐ[1]。
エピソード
- 中学時代に母方の叔父の影響で雑誌「ホトトギス」を知り文学に傾倒[1]。
- 大学時代も吉田璋也らと文化団体を結成、文芸雑誌を刊行。「白樺派」の武者小路実篤、柳宗悦、志賀直哉らに師事[1]。
- 三島由紀夫と交流があり、三島は自らの同性愛的な性的指向を式場隆三郎に告白している。
- 息子の式場壮吉は日本のレーサーの草分け。式場壮吉夫人は歌手の欧陽菲菲。
代表作
- 式場隆三郎『変態性慾の種々相』in 「日本評論」1936年(昭和11年)7月 第11巻7号, p248-253
- 式場隆三郎『精神病理学』(三笠書房, 1937)
- 式場隆三郎『四十からの無病生活法』(実業之日本社, 1937)
- 式場隆三郎『処女のこころ』(鱒書房, 1940)
- 式場隆三郎『人妻の教養』(鱒書房, 1940)
- 羅信耀・式場隆三郎『北京の市民』(文藝春秋社, 1941)
- 式場隆三郎『夜想』(大元社, 1946)
- 式場隆三郎『愛の異教徒―マルキ・ド・サドの生涯と芸術』(綜合出版社, 1947)
- 式場隆三郎『諸国の民芸』(大日本雄弁会講談社, 1947)
- 式場隆三郎『ゴッホ巡礼』(学風書院, 1953)
- 式場隆三郎『美術の裏窓』(鱒書房, 1955)
引用文献
注釈