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エロ法規制の歴史
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==言葉の定義== *刑事犯罪は『捜査』『起訴』『公判』の3段階に分かれる。 *『逮捕』とは捜査機関が犯罪を犯したと思料する人の身柄を拘束する手続。法律用語。拘束は48時間以内と限られており、検察に身柄送検される。逮捕していない場合は書類送検。 *『検挙』とは捜査期間が犯罪を見つけたことを意味し、一般的に犯人まで特定している。厳密な法律用語ではない。 *『摘発』とは「検挙」と似ているが捜査期間が犯罪を見つけただけで、犯人の特定にまで至っていないようなケースも含む。厳密な法律用語ではない。 *『起訴』。検察官は送検されてきた被疑者に対して、裁判所に勾留請求をおこない、勾留期間(通常10日)内に捜査を行い、「起訴」「不起訴」「起訴猶予」などを決定。「起訴猶予」は「不起訴」の一種。 *『留置所』とは逮捕者の留置、送検者の拘留をおこなう施設で警察内に設置。 *『拘置所』とは刑事被告人を収容する法務省の施設。 *『刑務所』とは刑罰に服する者を収容する法務省の施設。死刑確定者は拘置所に収容。 *『発禁』。書物の発禁は厳密には存在しない。「わいせつ物頒布罪」は出版した者が刑事罰の対象となるだけで、出版物の発禁ではない。人権侵害、著作権侵害で裁判所より出版が差し止められることがあり、俗に発売禁止と呼ばれる。 *'''「逮捕」「摘発」がそのまま「送検」を意味しないので注意が必要。'''わいせつ図書販売などの場合、多くの場合は「摘発」され、1,2日間留置所(ブタ箱)に拘束された後、「起訴猶予」で終わり前科はつかない。 ==主な事件== 1946年(昭和21年), [[カストリ雑誌]]の1つ『猟奇』12月号が摘発。対象は北川千代三の「H大佐夫人」<ref group="注">発禁号は闇市で200円で取引されていた。</ref><ref name="hirooka">[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4094060065?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4094060065 広岡敬一『戦後性風俗体系 わが女神たち』(朝日出版社, 2000)]</ref>。 1947年(昭和22年)1月1日、[[帝都座]]で[[秦豊吉]]がしかけた『額縁ショー』の頃の警視庁保安課取り締まり規則は次の通り。「ズローズは股下二寸未満のもの及び肉色のものはこれを禁ずること。背部は上体の二分の一より以下を露出せしめざる事。静物と称し全身に肉襦袢を着し、裸体の曲線美を表するものは、腰部をスカートその他これに類するものを以て覆わしむこと」<ref name="The">『特集:ヴィーナスの誕生』季刊『the 座』第22号(こまつ座, 1992)</ref>。 1950年代、[[正邦乙彦|ジプシー・ローズ]]の「グラインド」が禁止。「二回以上の尻回しと三回以上の腰振りは猥雑にあたる」<ref name="hirooka"></ref>。 1954年(昭和29年)、[[風俗草紙]]2月号が摘発。[[奇譚クラブ]]3月号が摘発<ref group="注">[[濡木痴夢男]]の『魔性の姉妹』が対象。</ref>。[[風俗草紙]]4月号、[[奇譚クラブ]]4月号が摘発<ref name="eshi">[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4309474594?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4309474594 濡木痴夢男『「奇譚クラブ」の絵師たち』(河出書房新社, 2004)]</ref>。6月号〜9月号、12月号〜1955年3月号が休刊。 1955年(昭和30年)3月25日、[[奇譚クラブ]]4月号が押収。容疑箇所は[[伊藤晴雨]]の「指人形」、古川裕子の「孤独」、二俣志津子の「悪魔の遊戯」<ref>『[[奇譚クラブ]]』1955年(昭和30年)10月号。</ref>。 1956年(昭和31年)、『売春防止法案」が成立・公布。 1958年(昭和33年)4月1日、『売春防止法案」が施行。 1962年(昭和37年)、[[裏窓]]8月号が摘発。 1968年(昭和43年)9月、[[奇譚クラブ]]が扉頁に「本誌自粛の徹底」を掲載(これ以降の号、毎月)。当局の取り締まりを意識。 1972年(昭和47年)、日本ビデオ倫理協会設立。 1973年(昭和48年)、[[SMキング]]の8月号と9月号が発禁処分に<ref>[[SMキング]]1973年(昭和48年)11月号『[[鬼六談義]] 秋風の季節』</ref>。 1980年(昭和55年)、ビニ本販売で[[芳賀書店]]専務の芳賀英明が指名手配、出頭。 1999年(平成11年)、風俗営業法 2008年(平成20年)、改正風営法 2008年(平成20年)3月1日、「日本ビデオ倫理協会」の審査部統括部長小野克巳らが逮捕。 2008年(平成20年)6月、日本ビデオ倫理協会が審査停止。「日本映像倫理審査機構」となる。 ==参考文献== <references/> ==注釈== <references group="注"/> {{DEFAULTSORT:えろほうきせい}} [[Category:SM周辺文化]] [[Category:総索引]]
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