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[[画像:suma.jpg|150px|thumbnail|須磨利之 (1920-1992 )]] '''すま としゆき'''、1920年(大正9年) - 1992年(平成4年) ==概要== 絵師。緊縛師。文筆家。編集者。『[[奇譚クラブ]]』『[[裏窓]]』『[[SMコレクター]]』『[[アブハンター]]』『[[SM奇譚]]』などの初期SM雑誌の編集に関わり、戦後SM文化の形成に大きな役割を果たした。絵師としても高いレベルの作品を残し、緊縛師、文筆家としても活躍した。[[須磨利之]]の絵師としての活動は、[[喜多玲子]]のページにもまとめてある。 ==別名== [http://www.nawapedia.com/index.php?title=Toshiyuki_Suma Toshiyuki Suma], [http://www.nawapedia.com/index.php?title=Reiko_Kita Reiko Kita], [[Kou Minomura]], 須磨としゆき、 [[喜多玲子]]、[[美濃村晃]]、その他(下記参照)。 ===[[奇譚クラブ]]時代の変名<ref name="eshi">[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4309474594?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4309474594 濡木痴夢男『「奇譚クラブ」の絵師たち』(河出書房新社, 2004)]</ref>=== 【絵師として】[[須磨利之]]、魁京二*、亀井七郎*、七郎*、須磨としゆき、[[喜多玲子]]、㐂夛玲子、[[美濃村晃]]、[[箕田京二]]、箕田京太郎、箕田京、志乃田よしろう*、峯玄太*、松岡敏一*、曾根三太郎*、加住としを*、森あきら*、竹中英二郎<ref group="注">[[竹中英太郎]]をまねた画風。[[竹中英太郎]]の長男は評論家の竹中労で後年、須磨を訪れた(「奇譚クラブの絵師たち」)</ref>、竹中えいじろ、今幾久造、秋田冷光*、明石三平*、沖研二*、天野健* など。また絵のサインとしては『MINOMURA』『晃』『KEN』『弱』『えいじろ』。絵師としての活動は、[[喜多玲子]]のページにもまとめてある。''(「*」印の名前については、画風からおそらく[[須磨利之]]の変名だろうと予想したもの)'' 【文筆家として】壬生すみ子、藤安節子、花山剣作、高月大三、早乙女晃、鬼山絢作(けんさく)、赤坂剛、秋山ルミ子、三村幾夫、染田玄、 ===[[風俗草紙]]時代の変名=== [[喜多玲子]]、美濃村晃(絵)、志見透(文)、高月大三(文) ===[[裏窓]]時代の変名=== [[喜多玲子]]、[[美濃村晃]]、円城寺達、沢拳史(絵)、柴志野別(絵)、猪島昌也(写真) ===SM雑誌時代の変名=== [[喜多玲子]]、[[美濃村晃]]、仲島炬司(絵)、照魔加司<ref group="注">マレー語で「ありがとう」=テレマカシ</ref>、須賀敏(文)、松村武史(劇画作)、古賀純一(文)、石塚章二(文)、絵のサインとしては『玲』 ===(未整理)=== 本田玲造、多摩九介、日吉雛子、 ==略歴== ''須磨の自伝には創作部分がかなり含まれており、以下の略歴も将来的に訂正される可能性もある。'' 1920年(大正9年) 、京都の印刷業の家に生まれる<ref name="kyosei">美濃村晃『巨星落ちたり-妖美画家 伊藤晴雨伝』[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4896677625?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4896677625 美人乱舞:責め絵師伊藤晴雨頌](弓立社, 1997)</ref><ref group="注">実父亡き後、叔父の須磨勘兵衛が家長。古書を探すと確かに「須磨勘兵衛発行」の本が見つかる。京都市左京区下鴨泉川町6となっている。</ref>。四国で育ったという記述もある<ref name="kitahara">[[北原童夢]]・[[早乙女宏美]][http://www.amazon.co.jp/gp/product/4309474454?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4309474454 『「奇譚クラブ」の人々』](河出書房新社, 2003)</ref>。 1932年頃、祖父の蔵書の中にあった『変態風俗資料』という本に責め絵画家として紹介されている[[伊藤晴雨]]を知る<ref name="kyosei"></ref><ref name="akita">[[秋田昌美]]・[[濡木痴夢男]]・[[不二秋夫]][http://www.amazon.co.jp/gp/product/4426738008?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4426738008 『日本緊縛写真史 1』] (自由国民社, 1996)</ref>。 1930年代、京都美術工芸学校を結核で中退<ref name="akita"></ref>。 1930年代、小林楳仙(こばやしばいせん)<ref group="注">久保田米遷の弟子、右京区の嵯峨天龍寺芒ノ馬場町という所にいた。</ref>という日本画家の内弟子になる<ref name="akita"></ref><ref name="gokuraku">[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4480818111?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4480818111 下川耿史『極楽商売 聞き書き戦後性相史』(筑摩書房, 1998)]</ref><ref name="kyosei"></ref>。 1939年(昭和14年)5月、舞鶴の海兵団に志願<ref name="gokuraku"></ref>。衛生兵であったという記述もある<ref name="kitahara"></ref>。 1944年(昭和19年)3月18日、「北陸丸」乗船中にバシー海峡で沈没<ref name="gokuraku"></ref><ref group="注">フィクションかもしれないが、仮装巡洋艦「北陸丸」は実在した。「昭和16年8月に海軍に徴傭された北陸丸は,昭和17年のメナド攻略,ミッドウエー作戦,ガダルカナル作戦と激戦の海を駆け巡る。昭和19年、6700トンのボーキサイト,600トンの重油,256名の軍人を載せてシンガポールから門司に向かった北陸丸は、3月18日1時14分、シナ海香港南東300km付近において被雷する。1本目が1番艙で爆発すると2番艙の弾薬が誘爆,2本目は3番艙の重油タンクで爆発炎上,3本目は機関室に命中して5分後に全没。8名の軍人、警戒隊25名、55名の船員が戦死」とある。</ref>。 1945年頃、復員後、日本各地を放浪していろいろな職業につく<ref name="akita"></ref>。 1945年頃、京都の夕刊新聞社「京都中央新聞社」の編集記者<ref name="akita"></ref>。 1947年(昭和22年)夏、京都中央新聞社の[[杉山清詩]]<ref group="注">[[杉山清詩]]は奇譚クラブ別冊に須磨氏を連れてデパートに洋画美術研究会に行ったことを書いている。当時は、美術を隠れ蓑にヌード鑑賞していたらしい。([[秋田昌美]]「異説:フェティシズムの歴史」)</ref>につれられ[[曙書房]]に行ったのが縁で[[奇譚クラブ]]に挿絵を描き出す<ref name="akita"></ref><ref group="注">[[奇譚クラブ]]の創刊は1947年(昭和22年)10月なので、この話が本当だとすると創刊当時から参加していたことになる。</ref>。まだ不定期刊行のカストリ雑誌であった[[奇譚クラブ]]以外にも、「[[情艶新集]]」などににも挿絵を描いていた<ref group="注">「情艶新集」の出版社には後の[[都築峰子]]となる八木静男が寄宿していた。</ref><ref name="akita"></ref>。 1948年(昭和23年)、5月20日発行の[[奇譚クラブ]]5月号(第7號)には、まだ[[須磨利之]]の痕跡は見いだせない<ref name="esme">懐かしき奇譚クラブ、esme氏私信 to U。</ref>。 1948年(昭和23年)、10月15日発行の[[奇譚クラブ]]「爽秋読切傑作号」の表紙は[[須磨利之]]。 1949年(昭和24年)、『'''[[奇譚クラブの別冊・増刊号|別冊奇譚クラブ]]'''』4月号、10月号の表紙は[[須磨利之]]。 1949年(昭和24年)、10月15日発行の[[奇譚クラブ]]の表紙に「玲」のサインが。[[須磨利之]]が表紙を描いた可能性高い<ref group="注">1951年5月号の表紙サインも「ST」になっており、[[須磨利之]]が表紙を描いたのかもしれない。</ref>。 1950年(昭和25年)、少なくとも[[奇譚クラブ]]7月号(第22集)には[[須磨利之|喜多玲子]]、[[須磨利之|須磨としゆき]]名の作品が多く見られる<ref name="esme"></ref> 1951年(昭和26年)、4月より1954年(昭和29年)1月まで[[伊藤晴雨]]と喜多玲子の書簡交換が記録に残っている<ref>『伊藤晴雨書簡』[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4896677625?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4896677625 美人乱舞:責め絵師伊藤晴雨頌](弓立社, 1997)</ref>。 1951年(昭和26年)、[[奇譚クラブ]][http://nawa-art.com/backnumber/1950/195112/01/195112_01.html 12月号]より編集人が[[吉田稔]]から[[箕田京二]]に変わる。これは[[須磨利之]]が[[箕田京二]]の変名を使っていたことを考慮すると、これは[[須磨利之]]が本格的に[[奇譚クラブ]]の編集に関わりだしたことを示しているのかもしれない。 1952年(昭和27年)、[[奇譚クラブ]]は6月号からそれまでのB5版をA5版に変え、変態路線を強めていく。 1953年(昭和28年)1月、[[伊藤晴雨]]が[[奇譚クラブ]]1月号に短文を寄稿し、その中で[[喜多玲子]]への想いを語っている<ref name="semeba">[[伊藤晴雨]]『'''女の責場を描く時の心境'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)1月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195301/02/139.html p145]</ref>。 1953年(昭和28年)、[[奇譚クラブ]]を6月号で辞める。同人誌『たのしみ草紙』を発行<ref group="注">20人程のマニアが集まり、20-50部ほどを発行。8号まで続く。</ref><ref name="akita"></ref>。 1953年(昭和28年)7月、[[風俗草紙]]創刊号である7月号に[[喜多玲子]]の名前で絵と告白文。 1953年(昭和28年)8月、[[玲光社]]という出版社を京都に起こし、私家版的な絵画集を出していた模様。 1954年(昭和29年)5月、[[風俗クラブ]]5月号に[[須磨利之|喜多令子]]、[[須磨利之|高月大三]]の名で記事を書いている。 1954年(昭和29年)秋、上京<ref group="注">[[伊藤晴雨]]、三木トリローらが上京を勧めたとされる。</ref><ref name="akita"></ref><ref group="注">「奇譚クラブの絵師たち」では「1953年(昭和28年)に・・妻子と共に上京する。新宿・十二社(そう)のアパートの二階に住む」とある。</ref> 1954年(昭和29年)、[[伊藤晴雨]]と始めて実際に会う<ref group="注">当初、[[伊藤晴雨]]は喜多玲子を本物の女性画家だと信じていた模様。また、最後まで須磨を喜多玲子の主人と思っていた「ふり」をしていたという説もある。</ref><ref name="kyosei"></ref><ref name="akita"></ref>。 1954年(昭和29年)、[[風俗草紙]]が10月号で廃刊。 1955年(昭和30年)、[[あまとりあ社]](=[[久保書店]])に入社。[[あまとりあ]]の第5巻2号と3号に[[須磨利之|喜多玲子]]の口絵。終刊号(8月号)の編集に携わる。 1955年(昭和30年)、[[裏窓]]の前身となる『[[かっぱ]]』を創刊<ref group="注">カッパブックスを出していた光文社からのクレームで改名。</ref><ref name="akita"></ref>。 1956年(昭和31年)、[[久保書店]]から[[裏窓]]創刊<ref group="注">3万円で雑誌を作ると社長を説得した。</ref><ref name="eshi"></ref>。 1959年(昭和34年)、この頃、[[団鬼六]]と交友関係が深まる''(要確認)''。 1960年(昭和35年)、[[裏窓]]は角綴から中綴に変わり、変態雑誌を大きく標榜。 1961年(昭和36年)8月、[[浦戸宏]]が[[裏窓]]編集室に参加。 1962年(昭和37年)、[[裏窓]]の編集長を[[濡木痴夢男]]にバトンタッチし、少女雑誌『'''[[灯]]'''』(後の『'''[[抒情文芸]]'''』)の編集をてがける<ref name="akita"></ref>。 1970年(昭和45年)、[[久保書店]]を退社し、[[濡木痴夢男]]と[[虻プロ]]を設立。社長は須磨。[[あぶめんと]]を創刊。同年9月号で廃刊。 1970年(昭和45年)11月、[[SMセレクト]]の創刊に関与。 1971年(昭和46年)10月、[[SMコレクター]]の創刊に関与。 1979年(昭和54年)5月、脳溢血で倒れ東京女子医大に1年半入院<ref name="action">[[須磨利之|美濃村晃]]『アクションロープハント 淫ら妻は背後責めに燃えた』[[復刊奇譚クラブ]]1982年(昭和57年)4月号</ref>。その後、神奈川県厚木市七沢の温泉療養所でリハビリ<ref name="eshi"></ref>。 1989年(昭和元年)、シネマジックの[[吉村彰一]]によるドキュメント作品『縄炎 ~美濃村晃の世界~』が制作される。監督は[[雪村春樹]]で須磨利之自身に加え、[[濡木痴夢男]]、[[団鬼六]]、[[櫻木徹郎]]、[[有末剛]]、[[椋陽児]]、[[吉村彰一]]等が出演。 1992年(平成4年)、死去。 ==エピソード== *軍隊中に報道兵であった[[吉田稔]]と知り合ったという記述がある<ref name="kitahara"></ref>。 *ミノムラコ=ジャワ語でちょっと一服<ref name="eshi"></ref>。 *喜多玲子は夫人の旧姓そのまま使った。[[吉田稔]]の勧め<ref name="kyosei"></ref>。「喜多」は夫人が能の喜多流の関係者であったためという記述もある<ref name="kitahara"></ref>。 *[[江戸川乱歩]]から少年の絵を依頼されていたらしい<ref name="feti">[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4380962253?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4380962253 北原童夢『東京フェティッシュ倶楽部』(三一書房, 1996)]</ref> *[[寺山修司]]は須磨と交流があり、戦争の逸話<ref group="注">「戦争で捕虜となった時に、敵国の従軍看護婦一師団がやってきて、捕虜の日本兵に『射精競馬』をさせ、最後はその<ウタマロ>を強チンされた」。ただしこの手の須磨の話は要注意。</ref>などをテープに録音していた<ref name="feti"></ref>。 *ボクシング好きの[[須磨利之]]は、「カッパの清作がやっている店へご案内しますよ」と濡木を[[たこ八郎]]がやっていた「たこ部屋」に連れて行った<ref name="shibai97">[http://pl-fs.kir.jp/nureki/sibai/97/index.htm 濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第九十七回]</ref> *須磨は[[高橋鐵]]に良く思われていないと述べている。これは[[沼正三]]が[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)4月号に発表した『'''スカタロジーという語について-高橋鉄氏に問うー'''』が原因と考えていた<ref name="kyosei"></ref>。ただし、この時期、[[須磨利之]]は既に[[奇譚クラブ]]を離れているはずだ。 *新宿区代々木にあった[[SM聖地|けごん旅館]]を好んで使っていた<ref name="manbou">[[貴重な情報発信サイト|マンボウ資料館]]より</ref>。 *[[SMコレクター]]で多用していた小牧洋子は好みのモデル。ダンサーあるいはストリッパーだった。<ref name="manbou"></ref> *70年代の須磨の自宅は横浜市港北区日吉本町4-10-32<ref name="eshi"></ref>。 *[[日本特集出版社]]の代理部が、1950年代に、[[喜多玲子]]の『'''お小夜嵐'''』等の著作を[http://nawa-art.com/etc/fs/FS195401/03/214.html 通信販売]していたようだ。 ==代表作== ===特に注目すべき作品=== *[[松井籟子]]『肉体の陰火』[[奇譚クラブ]]1951年(昭和26年)1月号。[[須磨利之|須磨としゆき]]で挿絵。 *[[松井籟子]]『恋責め』[[奇譚クラブ]]1951年(昭和26年)3月号。[[須磨利之|喜多玲子]]で挿絵。 *片矢薫『遊女葦水の最後』[[奇譚クラブ]]1951年(昭和26年)3月号。[[須磨利之|喜多玲子]]で挿絵。 *[[松井籟子]]『女体燃ゆれど』[[奇譚クラブ]]1951年(昭和26年)4月号。[[須磨利之|喜多玲子]]で挿絵。 *[[松井籟子]]『裸身の魔女』[[奇譚クラブ]]1951年(昭和26年)5月号。[[須磨利之|喜多玲子]]で挿絵。 *[[松井籟子]]『女情痴作家』[[奇譚クラブ]]1951年(昭和26年)6月号。[[須磨利之|喜多玲子]]で挿絵。 *[[須磨利之|早乙女晃]]『唄祭二郎吉囃子』[[奇譚クラブ]]1951年(昭和26年)6月号。[[須磨利之|喜多玲子]]で挿絵。 **田文吉『妖精の最後』[[奇譚クラブ]]1951年(昭和26年)6月号。[[須磨利之|喜多玲子]]で挿絵。 *[[杉山清詩]]『食人ホテルの惨劇』の挿絵。[[奇譚クラブ]]1951年(昭和26年)12月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195112/02/049.html p69]名前は[[吉田稔|箕田京二]]となっている。 *[[須磨利之|喜多玲子]]『女天下時代画集』[[奇譚クラブ]]1952年(昭和27年)7月号 *[[須磨利之|喜多玲子]]『縛られた裸女十態』[[奇譚クラブ]]1952年(昭和27年)7月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195207_esme/004%20pn.html 口絵] *[[須磨利之|喜多玲子]]『習作十五態』[[奇譚クラブ]]1952年(昭和27年)8月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195208/02/139.html 口絵] *[[須磨利之|喜多玲子]]『悦虐の記録』[[奇譚クラブ]]1952年(昭和27年)8月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195208/02/173.html p186] *[[須磨利之|喜多玲子]]『縛られたをんな二十態』[[奇譚クラブ]]1952年(昭和27年)9月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195209/01/195209_005.html 口絵] *[[須磨利之|喜多玲子]]『'''玲子画帖'''』([[曙書房]], 1952年(昭和27年)11月)<ref group="注">限定300部。定価300円。</ref> *[[塚本鉄三]]・[[喜多玲子]]『'''縛った女を描く'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)1月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195301/01/006.html グラビア] *[[須磨利之|高月大三]]構成『'''戦後の挿絵に現れた 女の責め場'''』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)5月号 *[[須磨利之|高月大三]]『'''お小夜嵐'''』の挿絵。[[奇譚クラブ]]1953年(昭和28年)6月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195306/01/005.html グラビア] *[[須磨利之|喜多玲子]]『'''喜多玲子 悦虐姿態素描集(2)'''』([[玲光社]], 1953.8) *[[須磨利之|喜多玲子]]『'''やわ肌を責めて'''』[[風俗草紙]]1953年(昭和28年)8月号, [http://nawa-art.com/etc/fs/FS195308/02/128.html p131] *[[須磨利之|喜多玲子]]『'''縛り繪六景'''』[[風俗草紙]]1953年(昭和28年)9月号, [http://nawa-art.com/etc/fs/FS195309/FS195309_004.html 口絵] *[[須磨利之|喜多玲子]]『'''犠牲六態'''』[[風俗草紙]]1953年(昭和28年)12月号, [http://nawa-art.com/etc/fs/FS195312/FS195312_032.html 口絵] *[[須磨利之|喜多玲子]]『'''玲子十二ヶ月 松'''』[[風俗草紙]]1954年(昭和29年)1月号, [http://nawa-art.com/etc/fs/FS195401/02/109.html p120] *[[須磨利之|円城寺達]]『'''お竜秘帖'''』[[裏窓]]1959年(昭和34年)9月号, [http://nawa-art.com/etc/uramado/ura_195909/03/207.html p212](挿絵:[[喜多玲子]]) *[[濡木痴夢男|飯田豊吉]]『'''地獄の乳房'''』([[あまとりあ社]], 1959?)(装幀:[[喜多玲子]]) *[[島本春雄]]『'''忍び夜秘帖'''』([[あまとりあ社]], 1959?)(装幀:[[喜多玲子]]) *[[須磨利之|高月大三]]『'''女犯経秘図'''』([[あまとりあ社]], 1959?)(装幀:[[喜多玲子]]) *美濃村晃『スクリーン・エロティシズム2』([[久保書店]]、1962年(昭和37年)) *[[濡木痴夢男|藤見郁]]『'''縄と女と野獣たち'''』([[第二書房]], 1969)(表紙・挿絵:[[須磨利之|美濃村晃]])(ナイトブックスシリーズNo. 54) *[[濡木痴夢男|藤見郁]]『'''狂った縄'''』([[第二書房]], 1969)(表紙・挿絵:[[須磨利之|美濃村晃]])(ナイトブックスシリーズNo. 56) *[[濡木痴夢男|藤見郁]]『'''白い肌黒い縄'''』([[第二書房]], 1969)(表紙・挿絵:[[須磨利之|美濃村晃]])(ナイトブックスシリーズNo. 57) *[[須磨利之|須賀敏]]『'''女泣き土蔵'''』([[耽美館]], 1969)(挿絵:[[曽我部泰]])(SM耽美文学シリーズ No.1) *[[須磨利之|須賀敏]]『'''ぬめ肌呪縛'''』([[耽美館]], 1969)(挿絵:[[須磨利之|美濃村晃]])(SM耽美文学シリーズ No.2) *『巨星落ちたり』[[SMコレクター]]1980年(昭和55年)11月号では、[[伊藤晴雨]]との関係を書いている。 ===自伝=== *『春縄(シリーズ)<ref group="注">「春縄あぶぷれい」「春縄お好み場面」など、毎回異なるタイトル。</ref>』[[SMコレクター]]1975年(昭和50年)5月号-1977年(昭和52年)5月号 *『縄の浮浪者』[[SMコレクター]]1978年(昭和53年)10月号-1979年(昭和54年)7月号 *『我が縄の履歴書』[[SMコレクター]]1981年(昭和56年)6月号-12月号 *『美濃村晃淫行録』 *『太平洋戦争SM譚』 *『縛られ女郎列伝』(再録<ref group="注">オリジナルは[[白夜書房]]の『スパーク』</ref>)[[S&Mスナイパー]]1993年(平成5年)5月号-1995年(平成7年)1月号 *『縄の交友録』[[緊美研|緊美研通信]]1990年(平成2年)第4号, 第5号, 1991年(平成3年)第6号 ===特集=== *『'''縄炎 ~美濃村晃の世界~'''』ビデオ作品。([[シネマジック]], 1989)。監督が[[雪村春樹]]で須磨利之自身に加え、[[濡木痴夢男]]、[[団鬼六]]、[[櫻木徹郎]]、[[有末剛]]、[[椋陽児]]、[[吉村彰一]]等が出演。 *[[天野哲夫]]『ある異常者の随筆録』[[S&Mスナイパー]]1992年(平成4年)5月号 *『追悼・美濃村晃の世界』[[S&Mスナイパー]]1992年(平成4年)6月号 ===展覧会など=== *『~喜多玲子・美濃村晃・須磨利之~』2009年(平成21年)3月2日-4月29日、[[風俗資料館]] *『美濃村晃(喜多玲子)生誕90周年記念展示「昭和異端風俗絵模様」』2010年(平成22年)6月21日-7月3日、[[SM聖地|ヴァニラ画廊]]<ref group="注">6月26日には特別トークイベント 出演:[[早乙女宏美]]・[[鏡堂みやび]]・伊藤文學(病欠)</ref> ==参考資料== <references/> ==注釈== <references group="注"/> ==つながり== [[伊藤晴雨]] [[吉田稔]] [[濡木痴夢男]] [[団鬼六]] [[櫻木徹郎]] [[江戸川乱歩]] [[寺山修司]] [[八木静男]] ==お役たちweb== *[http://ameblo.jp/takashi-san/entry-10275941117.html 縄炎 ~美濃村晃の世界~] *[http://ameblo.jp/takashi-san/entry-10307082499.html 『極楽商売―聞き書き戦後性相史』その2] *[http://ameblo.jp/takashi-san/entry-10320635522.html#main 『極楽商売―聞き書き戦後性相史』その3] *『'''[http://minomurakoh.doorblog.jp/ 美濃村晃氏の緊縛写真]'''』 [[貴重な情報発信サイト|Mr.分譲写真氏運営]] {{DEFAULTSORT:すまとしゆき}} [[Category:緊縛師]][[Category:文筆家]][[Category:編集者]][[Category:絵師]][[Category:仕掛人]] [[Category:総索引]]
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