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'''つじむら たかし'''、1921年(大正10年)-1987年(昭和62年) ==活動内容== 緊縛師。文筆家。 ==別名== [[Takashi Tsujimura]]、緑猛比古、信土寒郎 ==略歴== 1948年(昭和23年)、復員して金物屋を始めた頃に[[奇譚クラブ]]を知り、信土寒郎の名で投稿した作品が採用。 1951年(昭和26年)この頃から[[奇譚クラブ]]に在籍。同誌1952年2月号に「洋パンを囲む座談会」の記事が見られる。 1952年(昭和27年)夏、初めて川端多奈子を縛る。[[吉田稔]]の緊縛を手伝うような記述。 1953年(昭和28年)秋頃から[[奇譚クラブ]]に構成:辻村と名前が出る。 1964年(昭和39年)、[[奇譚クラブ]]11月号から『カメラハント』連載開始。 1968年(昭和43年)9月24日、11PMに出演<ref group="note">大阪11PMで藤本義一が司会。タイトルは「サド侯爵もびっくり」。辻村はサングラスをかけていた。「TV局は[[吉田稔|吉田]]を再三誘ったが吉田はでなかった」とある。</ref>。28日封切りの『徳川女刑罰史』のプロモーション。 1968年(昭和43年)、石井輝男監督『徳川女刑罰史』(東映)で緊縛指導。 1969年(昭和44年)、石井輝男監督『残酷・異常・虐待物語 元禄女系図』(東映)で緊縛指導。自らも木樵役で出演。続いて同じく石井監督の『徳川いれずみ師 責め地獄』で緊縛指導。 1971年(昭和46年)、中島貞夫監督『性倒錯の世界』(東映)に出演。鈴木則文監督『温泉みみず芸者』に役人役で出演。 1973年(昭和48年)、[[SMキング]]7月増刊号で特集「縄師 辻村隆」 ==エピソード== *奈良を中心に活動した。 *陸軍の輜重(しちょう)兵(=後方支援隊)。(美濃村伝聞。極楽商売)。従軍4年。 *戦後の職業は通説では、金物屋、経理、衛生検査技師だが、詳細は不明。学校教師との説もある。 *「戦争に引っ張られる前夜、ひそかに憧れていたいとこの女性から、『私をあなたの好きなようにしていいのよ』といわれて、高揚するままに腰ひもで縛った。」「その時の感情が忘れられず、戦場でも『もう一度彼女を縛りたい。こんあところでは死にたくない』と思い続けていた」(美濃村伝聞。極楽商売) *「古書の緊縛手法の本を開き乍ら、あれこれと緊縛し」(70別冊奇譚クラブ) ==代表作== 『カメラハント』 ==関連文献== 辻村 隆『カメラ・ハント楽我記』奇譚クラブ1970年臨時増刊号。<br> [http://www.amazon.co.jp/gp/product/4480818111?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4480818111 下川耿史「極楽商売―聞き書き戦後性相史」(筑摩書房、1998) ] ==脚注== <references group="note"/> ==ノート== <references group="note"/> ==お役たちweb== <br> {{DEFAULTSORT:つじむらたかし}} [[Category:緊縛師]] [[Category:文筆家]] [[Category:総索引]]
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