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'''SMミラージュ'''』(えすえむみらーじゅ)は、SM雑誌である。
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'''えすえむみらーじゅ'''。[[世田介一]]が1983年(昭和58年)に[[群雄新社]]から創刊した同人誌的なSM雑誌。[[六本木薫]]、[[佐久間一韋]]、[[山口椿]]、[[椋陽児]]等。8号まで続く。


== 概要 ==
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== 発行人・編集人==
== 発行人・編集人==
三輪高志発行。編集が宗礼阿。
[[三輪高志]]発行。編集が[[宗礼阿]]。


== 主な出来事==
== 主な出来事==
1983.2.15 『[[SMミラージュ]]』創刊。[[三輪高志]]発行。編集が宗礼阿。[[世田介一]]、[[六本木薫]]が中心。表紙は山口椿。
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1983年(昭和58年)2月15日 『[[SMミラージュ]]』創刊。企画・編集[[世田介一]]で[[群雄新社]]から。[[三輪高志]]発行。編集が[[宗礼阿]]。[[世田介一]]、[[六本木薫]]が中心。表紙は[[山口椿]]。
:[[佐久間一韋]]の投稿写真。撮影:[[邑内一]]、緊縛:[[六本木薫]]のグラビア。


第2号(4.15)には[[椋陽児]]の名前が。
第2号(4.15)には[[椋陽児]]の名前が。
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5号(9.15)。
5号(9.15)。


6号(12.15)の編集後記で、宗礼阿が「[[スペシャリーS&M]]が復刊されるという噂が飛んでいる。私に言わせればどの面下げて・・・以前の会社で[[スペシャリーS&M]]の11号から24号まで編集に関わっていた。交通事故にあった[[志摩紫光|山谷秋人]]の穴を埋めるべく24号はほとんど私が独断で・・・29号は売れた。その後内部確執・・・けんか別れでD社を出た」と[[大共社]]の社長との確執を吐露。
6号(12.15)の編集後記で、[[宗礼阿]]が「[[スペシャリーS&M]]が復刊されるという噂が飛んでいる。私に言わせればどの面下げて・・・以前の会社で[[スペシャリーS&M]]の11号から24号まで編集に関わっていた。交通事故にあった[[志摩紫光|山谷秋人]]の穴を埋めるべく24号はほとんど私が独断で・・・29号は売れた。その後内部確執・・・けんか別れでD社を出た」と[[大共社]]の社長との確執を吐露。


7号(1984.2.15)
7号(1984.2.15)


8号(4.15)で休刊。
8号(4.15)で休刊。
==増刊号==
==増刊号==
1984年(昭和59年)1月、増刊第2号「燃焼のリベラルゾーン」。企画・編集:[[世田介一]]、発行者:[[三輪高志]]、発行所:[[ミラージュ社]]
1984年(昭和59年)1月、増刊第2号「燃焼のリベラルゾーン」。企画・編集:[[世田介一]]、発行者:[[三輪高志]]、発行所:[[ミラージュ社]]
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== エピソード==
== エピソード==
[[世田介一]]が関与。
[[世田介一]]が関与。
==主な記事==
*[[D・ハルマ|Dr. ハルマ]]『'''実用SMテクニック講座 第1回'''』[[SMミラージュ]]第3号 1983年(昭和58年)6月15日
*[[D・ハルマ|Dr. ハルマ]]『'''実用SMテクニック講座 第2回'''』[[SMミラージュ]]第4号 1983年(昭和58年)8月15日
*[[D・ハルマ|Dr. ハルマ]]『'''実用SMテクニック講座 第3回'''』[[SMミラージュ]]第5号 1983年(昭和58年)9月15日
*[[D・ハルマ|Dr. ハルマ]]『'''実用SMテクニック講座 第4回'''』[[SMミラージュ]]第6号 1983年(昭和58年)12月15日
*[[D・ハルマ|Dr. ハルマ]]『'''実用SMテクニック講座 第5回'''』[[SMミラージュ]]第7号 1984年(昭和59年)2月15日
*[[D・ハルマ|Dr. ハルマ]]『'''実用SMテクニック講座 第6回'''』[[SMミラージュ]]第8号 1984年(昭和59年)4月15日


== 脚注==
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2015年11月29日 (日) 21:04時点における最新版

SMミラージュ1983年(昭和58年)2月創刊号。表紙は山口椿

えすえむみらーじゅ世田介一が1983年(昭和58年)に群雄新社から創刊した同人誌的なSM雑誌。六本木薫佐久間一韋山口椿椋陽児等。8号まで続く。

概要

発行年・出版社

1983年(昭和58年)2月〜1984年(昭和59年)4月、群雄新社ミラージュ社

発行人・編集人

三輪高志発行。編集が宗礼阿

主な出来事

SMミラージュ1983年(昭和58年)2月創刊号から荒川也寸志のルポ。
SMミラージュ1983年(昭和58年)2月創刊号から六本木薫のルポ。

1983年(昭和58年)2月15日 『SMミラージュ』創刊。企画・編集世田介一群雄新社から。三輪高志発行。編集が宗礼阿世田介一六本木薫が中心。表紙は山口椿

佐久間一韋の投稿写真。撮影:邑内一、緊縛:六本木薫のグラビア。

第2号(4.15)には椋陽児の名前が。

3号(6/15)には今井一夫の名が。

4号(8.15)。

5号(9.15)。

6号(12.15)の編集後記で、宗礼阿が「スペシャリーS&Mが復刊されるという噂が飛んでいる。私に言わせればどの面下げて・・・以前の会社でスペシャリーS&Mの11号から24号まで編集に関わっていた。交通事故にあった山谷秋人の穴を埋めるべく24号はほとんど私が独断で・・・29号は売れた。その後内部確執・・・けんか別れでD社を出た」と大共社の社長との確執を吐露。

7号(1984.2.15)

8号(4.15)で休刊。

増刊号

1984年(昭和59年)1月、増刊第2号「燃焼のリベラルゾーン」。企画・編集:世田介一、発行者:三輪高志、発行所:ミラージュ社

エピソード

世田介一が関与。

主な記事

脚注

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