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*『赤と黒』
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*『人間探究』
*『人間探究』
*『[[あまとりあ]]』
*『[[あまとりあ]]』([[あまとりあ社]], 1951)
*『愛苑』(外苑書房, 1969)
*『愛苑』(外苑書房, 1969)
*『りびどう』(外苑書房, 1970)
*『りびどう』(外苑書房, 1970)

2010年11月22日 (月) 09:15時点における版

高橋鐵 (1907-1971)

たかはし てつ、1907年(明治40年)-1971年(昭和46年)は、推理作家で性科学者。

活動内容

文筆家。編集者。性科学者。

別名

Tetsu Takahashi、高橋鐵次郎(本名)[1][注 1]、高橋鉄

略歴

1907年(明治40年)11月3日、東京都港区芝に生まれる[1][注 2]

1925年(大正14年)、日本大学予科に入学[1][注 3]

1926年(大正15年)、カルピス宣伝部にアルバイト学生として勤務[1]

1929年(昭和4年)3月、私淑していた左翼運動家で性科学者山本宣治の暗殺に大きなショック[1]

1929年(昭和4年)、華族の女性と恋愛関係になり心中未遂[1]

1931年(昭和6年)、小春と結婚。

1933年(昭和8年)12月、大槻憲二の主宰する東京精神分析研究所[注 4]に入所[1]

1950年(昭和25年)、日本生活心理学会を設立し、性科学を研究する。『セイシン・レポート』『りんが・よに参考資料図譜』

1950年(昭和25年)、『改造』の編集長らと共に、第一出版を作り、『人間探求』を発刊。1953.8まで続く。

1951年(昭和26年)2月、東京都板橋区常盤台に新居を構える[1][注 5]

1951年(昭和26年)、『あまとりあ』発刊。ただし主宰ではない。

1958年(昭和33年)、 八王子医療刑務所に拘禁

エピソード

  • カルピスの宣伝部に勤務していたときには、「カルピスは恋の味」というコマーシャルを制作。
  • 極度のアルコール依存症の上にガンと闘病
  • 未亡人、末子さん(後妻)が家に灯油を撒いて自殺
  • 門下生に広橋梵。『生活文化』「造化」『新生』を出す

代表作

  • 『あるす・あまとりあ』
  • 『赤と黒』
  • 『人間探究』
  • あまとりあ』(あまとりあ社, 1951)
  • 『愛苑』(外苑書房, 1969)
  • 『りびどう』(外苑書房, 1970)

引用文献

注釈

  1. 長男だが鐵次郎。本人も気に入らず、中学から高橋鐵を名乗り、1953年(昭和28年)に戸籍上も高橋鐵と変更。
  2. 父清三郎は株の仲介業をおこなう実業家。母てふは新橋花柳界出身。
  3. 1928年(昭和3年)には本科入学。
  4. 在野のフロイド研究家大槻憲二が1928年(昭和3年)に設立。機関誌は『精神分析』。
  5. 当時としては大豪邸。久保籐吉から前借りして購入。「あまとりあ御殿」と呼ばれれる。

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