静岡歌舞伎座ショウ

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なまえ

概要

別名

静岡歌舞伎座 静岡歌舞伎座ショウ

所在地

歴史

1948年(昭和23年)、レビュー劇場『静岡歌舞伎座[注 1]がオープン。山岸康二が志願して楽屋の手伝いをする。

1948年(昭和23年)頃、山岸康二が『静岡歌舞伎座』のための『泥んこ兄弟』の脚本を執筆[注 2]。処女作。

1950年(昭和25年)頃、映画館となる。

エピソード

引用文献

注釈

  1. 旧制中学の3年生。『静岡歌舞伎座』は戦争中疎開していたムーランルージュの残党が専属になって、現代劇、時代劇、それにバラエティショーの三本立て興行をおこなった。田村泰次郎肉体の門」、松浦(鈴木?)泉三郎の「火あぶり」「生きている小平次」など。永田キング(エノケンの師匠だった)がボルネオ、セレベスあたりに伝わる原住民の祭りを題材にした「ロンゲの夜」を製作。1950年頃には踊り子・スタッフが東京に戻り、映画館になる。
  2. 当時ブームになっていた「鐘の鳴る丘」を意識して書いた作品。永田キングの目にとまり上演。

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