関谷富佐子

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関谷富佐子 奇譚クラブ 1970年(昭和45年)12月増刊号より

せきや ふさこ。1962年(昭和37年)に自らモデルを志願してきた結婚1年半の主人公認のM性の強いモデル。鞭打ちを好み、塚本鉄三辻村隆を翻弄する勢いで責めを要求。

概要

奇譚クラブ 暁出版時代のモデル。M性の強い女性だった。辻村隆塚本鉄三のお気に入りのモデル。


略歴

1962年(昭和37年)9月21日、苦楽園で待ち合わせ神戸に移動し、塚本鉄三による第1回目の撮影[1]

1962年(昭和37年)10月6日、西宮市の関谷富佐子の主人の知人宅で塚本鉄三による第2回目の撮影[2]。鞭打ちを希望し、自ら主人とのプレイに使っている革製の鞭を持参。

1962年(昭和37年)10月9日、6日と同じ知人宅で塚本鉄三による第3回目の撮影[3]。激しい鞭打ちプレイ。

1962年(昭和37年)11月20日、第4回目のプレイ[4]。この後しばらく連絡不能となる。塚本鉄三は「忽然として私の前から姿を消してしまった」とある[5]と、辻村隆も「昭和37年の11月30日を最後に、急に消息を絶った」[6]と書いている。

1962年(昭和37年)、奇譚クラブ1962年(昭和37年)12月号、グラビアと『緊縛フォト撮影の実際 若妻をモデルとした構成[7]

1963年(昭和38年)、奇譚クラブ1963年(昭和38年)1月号, p144塚本鉄三緊縛フォト撮影の実際 笞打ちに悶える媚態』に登場。

1967年(昭和42年)3月、吉田稔に電話がかかって来る。3月10日に宝塚で辻村隆とのプレイ。吉田稔が写真[6]

1969年(昭和44年)8月、7年ぶりに塚本鉄三に誘いの手紙[5]。尼崎近くのモーテルで録音しながら鞭打ち。

1969年(昭和44年)秋、関谷富佐子の希望で塚本鉄三が逆さ吊りで鞭打ち。

エピソード

  • 1962年(昭和37年)の第1回目の写真撮影時に「結婚後1年半の人妻」とある[1]
  • 主人とSMプレイを既におこなっており、主人了解のもと、モデルとして志願[1]
  • 学生時代はバレーの選手[2]

関連作品

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 塚本鉄三緊縛フォト撮影の実際 若妻をモデルとした構成奇譚クラブ1962年(昭和37年)12月号, p48
  2. 2.0 2.1 塚本鉄三緊縛フォト撮影の実際 笞打ちに悶える媚態奇譚クラブ1963年(昭和38年)1月号, p144
  3. 塚本鉄三緊縛フォト撮影の実際 関谷夫人緊縛日記奇譚クラブ1963年(昭和38年)2月号, p166
  4. 塚本鉄三緊縛フォト撮影の実際 芦屋マダムか白百合夫人か奇譚クラブ1963年(昭和38年)3月号, p170
  5. 5.0 5.1 塚本鉄三緊縛モデルの素顔「狂乱の一夜」関谷富佐子さんを責める奇譚クラブ1970年(昭和45年)2月号, p154
  6. 6.0 6.1 SMカメラ・ハント奇譚クラブ1967年(昭和42年)6月号, p26
  7. 懐かしき奇譚クラブの「関谷富佐子index」

注釈

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奇譚クラブのモデル達