秋田昌美

提供:SMpedia

あきた まさみ、1956年12月19日-

概要

風俗史研究家。音楽家。

別名

Merzbow

略歴

1956年(昭和31年)12月19日、東京生まれ

1970年代、玉川大学文学部芸術学科卒業。

1979年(昭和54年)、Merzbow(メルツバウ)として音楽活動(ノイズミュージック)。

1983年(昭和58年)、文筆家としても活動開始。雑誌「CLASH」への執筆が最初[1]

1989年(平成元年)2月4日[2]秋田昌美が『切腹』の取材で濡木痴夢男と初めて会い意気投合。[注 1][1]以後、緊美研の中心メンバー。

1989年(平成元年)春、春原悠理切腹にフーカスした不二企画のレーベル『ライトブレーン』をスタート。秋田昌美も制作に関わる[1][2]

1989年(平成元年)4月23日、『ライトブレーン』レーベルの第1作である『女腹切り・散華』の撮影。

1997年(平成9年)4月、Secret Magazine12号, pp.53-55に "Punishment and the beauty of Japanese bondage (Kinbaku): The History of S&M in Japan"を寄稿。(→『緊縛の捕縄術起源論』参照)

エピソード

代表作

書籍

雑誌

CD

  • Merzbow緊縛の為の音楽(MUSIC FOR BONDAGE PERFORMANCE)』(EXTREME, 1991)

エピソード

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 Trevor Brownによる1992年のインタビューより。 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "Trevor"が異なる内容で複数回定義されています
  2. 2.0 2.1 春原悠理 私信 to U, 2014.7.13

注釈

  1. その後しばらくして春原悠理とも会い、秋田昌美緊美研に出入りし春原悠理の『ライトブレーン』レーベルの作品制作などに参加する

お役たちweb

つながり