「畔亭数久」の版間の差分

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==略歴==
==略歴==
1954年(昭和29年)2月、[[KK通信]]第17号,p4の山口晴行『異常性愛テクニック』に、[[畔亭数久|数久操]]の名前でイラスト。サインは『SUK』。
1954年(昭和29年)2月、[[KK通信]]第17号, [http://nawa-art.com/backnumber/kktsushin/195402_17/004.html p4]の山口晴行『異常性愛テクニック』に、[[畔亭数久|数久操]]の名前でイラスト。サインは『SUK』。


1954年(昭和29年)3月、[[奇譚クラブ]]3月号に[[畔亭数久|数久操]]の名前で『'''股間の感覚を刺激する縛り方'''』。
1954年(昭和29年)3月、[[奇譚クラブ]]3月号に[[畔亭数久|数久操]]の名前で『'''股間の感覚を刺激する縛り方'''』。
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1954年(昭和29年)4月、[[奇譚クラブ]]4月号に[[畔亭数久]]と名前を変えて『 [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195404/01/014.html '''轢殺ー鉄路に散る二輪の花ー''']』
1954年(昭和29年)4月、[[奇譚クラブ]]4月号に[[畔亭数久]]と名前を変えて『 [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195404/01/014.html '''轢殺ー鉄路に散る二輪の花ー''']』
==エピソード==
==エピソード==
*[[KK通信]]第17号の[http://nawa-art.com/backnumber/kktsushin/195402_17/016.html 編集部便り]には「京都在住の責絵画家[[畔亭数久|数久操]]女史」と紹介されているが真偽は定かでない。
*[[奇譚クラブ]]1966年(昭和41年)7月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196607/196607006.html p22]に畔亭数久と思われる挿絵。ただし60年代の一連の作品は、過去の作品の再録の可能性が指摘されている<ref>[[貴重な情報発信サイト|懐かしき奇譚クラブ]]のesme氏書き込み。</ref>。
*[[奇譚クラブ]]1966年(昭和41年)7月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196607/196607006.html p22]に畔亭数久と思われる挿絵。ただし60年代の一連の作品は、過去の作品の再録の可能性が指摘されている<ref>[[貴重な情報発信サイト|懐かしき奇譚クラブ]]のesme氏書き込み。</ref>。
*名前は江戸川乱歩の「湖畔亭事件」に由来する可能性が指摘されている。
*名前は江戸川乱歩の「湖畔亭事件」に由来する可能性が指摘されている。

2011年5月17日 (火) 07:59時点における版

畔亭数久 奇譚クラブ 1954年(昭和29年)5月号より

ぐろてすく、19ss年(昭和x年) -

概要

絵師。1954年(昭和29年)2月のKK通信数久操の名前で初登場。その後、奇譚クラブ3月号にも登場し、1956年(昭和31年)4月号まで精力的に作品を発表した。そのクールな画風は、後に登場する丸尾末広花輪和一, 宮西計三につながるものがある。

別名

Tesuku Guro、クロテイカズヒサ、数久操、絵のサインは『SUK』

略歴

1954年(昭和29年)2月、KK通信第17号, p4の山口晴行『異常性愛テクニック』に、数久操の名前でイラスト。サインは『SUK』。

1954年(昭和29年)3月、奇譚クラブ3月号に数久操の名前で『股間の感覚を刺激する縛り方』。

1954年(昭和29年)4月、奇譚クラブ4月号に畔亭数久と名前を変えて『 轢殺ー鉄路に散る二輪の花ー

エピソード

  • KK通信第17号の編集部便りには「京都在住の責絵画家数久操女史」と紹介されているが真偽は定かでない。
  • 奇譚クラブ1966年(昭和41年)7月号, p22に畔亭数久と思われる挿絵。ただし60年代の一連の作品は、過去の作品の再録の可能性が指摘されている[1]
  • 名前は江戸川乱歩の「湖畔亭事件」に由来する可能性が指摘されている。

代表作品

引用文献

  1. 懐かしき奇譚クラブのesme氏書き込み。

注釈

お役たちweb

つながり

<metakeywords> 畔亭数久,数久操,イラストレーター</metakeywords>