「沖渉二」の版間の差分

提供:SMpedia
11行目: 11行目:
東京美術学校(現、東京芸術大学)で油絵<ref name="gekiga"></ref>。
東京美術学校(現、東京芸術大学)で油絵<ref name="gekiga"></ref>。


大阪で[[カストリ雑誌]]『千一夜』の挿絵を描いていた<ref name="gekiga"></ref>。
大阪で[[カストリ雑誌]]『千一夜』<ref group="注">1953年(昭和28年)に第6巻とあるので、1947年(昭和22)年頃から少なくとも1953年(昭和28年)まで存在していた。</ref>の挿絵を描いていた<ref name="gekiga"></ref>。


『千一夜』の編集長は上京して日本文華社に勤める。沖渉二に上京を進める<ref name="gekiga"></ref>。
『千一夜』の編集長は上京して日本文華社に勤める。沖渉二に上京を進める<ref name="gekiga"></ref>。

2010年5月26日 (水) 20:35時点における版

おき しょうじ、1926年(大正15年) [注 1]-

活動内容

絵師。鬼プロサン出版三和出版司書房ミリオン出版の雑誌などに作品を発表。

別名

略歴

兵庫県出身[1]

東京美術学校(現、東京芸術大学)で油絵[1]

大阪でカストリ雑誌『千一夜』[注 2]の挿絵を描いていた[1]

『千一夜』の編集長は上京して日本文華社に勤める。沖渉二に上京を進める[1]

1955年頃、上京して須磨利之を知り、裏窓に挿絵[1]

1980年代後半から別画名で活躍[1]

エピソード

作品

引用文献

注釈

  1. 団鬼六が「私より5歳ぐらい年上だと思う」と書いている(『団鬼六原作劇画集成 (第1弾)』)のから逆算。
  2. 1953年(昭和28年)に第6巻とあるので、1947年(昭和22)年頃から少なくとも1953年(昭和28年)まで存在していた。

お役たちweb

つながり

須磨利之 団鬼六