日本風俗研究会

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SMメルヘン1981年(昭和56年)3月号の日本風俗研究会紹介記事。

概要

目黒駅前にあった本田富朗のSMクラブ。

別名

日風研

所在地

目黒駅前

歴史

1980年(昭和55年)頃、関和子日本風俗研究会に入店[1]

1981年(昭和56年)3月、SMメルヘン3月号に紹介記事。部屋が3つ。天井からチェーン吊りや滑車の用意。入会金1万円。

1981年(昭和56年)5月、S&Mスナイパー5月号の沙寺巣沈『ロープ・ハンター』で少し紹介されている。

「パートナーの女性を待機させていたために職安法違反で摘発された、例の目黒駅前の日本風俗研究会も会員制のスタジオスナックとして再発足した」「ここには拷問ルームが三室ある」

エピソード

  • 「目黒駅そばのビルの半地下にあった。2室のプレイルームがSM調に内装されていて、梁や鋲も打ってある。この時代では珍しく、まさに先駆的なクラブだった。」[1]
  • 「「日風研」のプレイルームを「スナイパー」の撮影に借りたりして、本田氏とは関係を深めていったが、急に警察の手入れを受けて、逮捕されてしまった。おそらくSMクラブ摘発の最初の事例だろう。」「売春容疑だったが、SMクラブでは性行為は仲介していないので、SMについての知識のない警察の早とちりだった。警察も困ったようで、微罪で書類送検となって20日ほどで本田氏は釈放された。」[1]

引用文献

注釈

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