山中常磐

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岩佐又兵衛作の『山中常磐』から第10巻の一場面。源義経により殺された盗賊の死骸を宿の主人達が処理する場面。17世紀前半の作品。

やまなかときわ、「浮世絵の祖」とも称される岩佐又兵衛の代表作で17世紀前半の作。縄の描写がしっかりしており、この頃から縄が「二つ折り」にして用いられていたのが分かる。

概要

「浮世絵の祖」とも称される岩佐又兵衛の代表作で17世紀前半の代表作。

別名

山中常磐物語絵巻

略歴

1578年(天正6年)、山中常磐が織田信長に仕えていた荒木村重の子、あるいは孫として生まれる[1]

1615年頃、山中常磐が京都から福井に移る。藩主松平忠直の文化人招聘の一貫[1]

福井在住時に『山中常磐物語絵巻』『浄瑠璃物語絵巻』を制作。

1637年(寛永14年)、徳川家光の娘の婚礼調度制作のために山中常磐は江戸に移る。妻子は福井に残る[1]

エピソード

代表作

作品集

矢代勝也『岩佐又兵衛作品集―MOA美術館所蔵全作品』(東京美術, 2013.10.1)

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 矢代勝也『岩佐又兵衛作品集―MOA美術館所蔵全作品』(東京美術, 2013.10.1)

注釈


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