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'''さんわしゅっぱん'''
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==概要==
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[[司書房]]にいた[[浅田昌弘]]、[[石川精亨]]、[[古川隆]]が休眠状態であった[[桃園書房]]資本の[[三和出版]]を譲り受け、1980年代初頭から本格活動を開始した出版社。SM雑誌の全盛期に[[小説SMファン]]、[[SMマニア]]、[[SM秘小説]]、[[マニア倶楽部]]などの人気雑誌を発行した。[[濡木痴夢男]]、[[有末剛]]、[[麻来雅人]]、[[杉浦則夫]]などが作品発表した。
[[司書房]]にいた[[浅田昌弘]]、[[石川精亨]]、[[古川隆]]が休眠状態であった[[桃園書房]]資本の[[三和出版]]を譲り受け、1980年代初頭から本格活動を開始した出版社。SM雑誌の全盛期に[[小説SMファン]]、[[SMマニア]]、[[SM秘小説]]、[[マニア倶楽部]]などの人気雑誌を発行した。[[濡木痴夢男]]、[[有末剛]]、[[麻来雅人]]、[[杉浦則夫]]、[[志摩紫光]]などが作品発表した。
 
==別名==
==別名==
三和出版株式会社
三和出版株式会社
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1976年(昭和51年)7月8日、登記上の設立日。
1976年(昭和51年)7月8日、登記上の設立日。
1980年(昭和55年)5月、[[SMフェニックス]]創刊。編集人:[[藤代史生]]、発行人:[[圓地利三]]。


1982年(昭和57年)春頃、[[司書房]]にいた[[浅田昌弘]]、[[石川精亨]]、[[古川隆]]らが株主となり[[三和出版]]に本格移籍。[[松本裕]]も移る。[[杉浦則夫]]も[[三和出版]]を主な発表の場とする。[[濡木痴夢男]]や[[有末剛]]が主な緊縛師として参加。
1982年(昭和57年)春頃、[[司書房]]にいた[[浅田昌弘]]、[[石川精亨]]、[[古川隆]]らが株主となり[[三和出版]]に本格移籍。[[松本裕]]も移る。[[杉浦則夫]]も[[三和出版]]を主な発表の場とする。[[濡木痴夢男]]や[[有末剛]]が主な緊縛師として参加。
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1982年(昭和57年)頃、[[麻来雅人]]が入社。
1982年(昭和57年)頃、[[麻来雅人]]が入社。


1982年(昭和57年)頃、代表取締役社長が[[浅田昌弘]]から仲一弥に。
1982年(昭和57年)頃、代表取締役社長が[[浅田昌弘]]から[[仲一弥]]に。
 
1986年(昭和61年)1月、[[マニア倶楽部]]を[[SMマニア]]増刊号として出版、その後定期刊行化し現在に至る。


1988年(昭和63年)頃、[[濡木痴夢男]]や[[有末剛]]が[[三和出版]]の仕事から一時退き、[[麻来雅人]]らが主な緊縛師として[[杉浦則夫]]と組む。その後、[[岩月憲二]]なども一時緊縛を担当。
1988年(昭和63年)頃、[[濡木痴夢男]]や[[有末剛]]が[[三和出版]]の仕事から一時退き、[[麻来雅人]]らが主な緊縛師として[[杉浦則夫]]と組む。その後、[[岩月憲二]]なども一時緊縛を担当。


1993年(平成5年)5月12日、株式会社メディアボーイ設立。
1993年(平成5年)5月12日、株式会社[[メディアボーイ]]設立。


1994年(平成6年)、[[古川隆]]が独立して福江裕司<ref group="注">当時「アップル通信」編集人。後に[[英和出版社]]代表。</ref>と[[英和出版社]]を設立。
1994年(平成6年)、[[古川隆]]が独立して[[福江裕司]]<ref group="注">当時「アップル通信」編集人。後に[[英和出版社]]代表。</ref>と[[英和出版社]]を設立。


1999年(平成11年)、[[浅田昌弘]]が後藤康典、独立。[[マイウェイ出版]]を設立。[[SMマニア]]、[[SM秘小説]]、アップル写真館の発行は[[マイウェイ出版]]へ移動。同時期に山田博志は[[大洋図書]]に。
1999年(平成11年)、[[浅田昌弘]]が[[後藤康典]]、[[石橋愼嗣]]らと共に[[マイウェイ出版]]を設立。[[SMマニア]]、[[SM秘小説]]、アップル写真館の発行は[[マイウェイ出版]]へ移動。同時期に[[山田博志]]は[[大洋図書]]に移り市ヶ谷編集局開設。


==所在地==
==所在地==
東京都千代田区三崎町2-11-7トーエンビル4F(1980年5月の[[SMフェニックス]]創刊時。[[司書房]]と同じ住所)
東京都千代田区神田神保町1-21 (1985年11月頃)
東京都豊島区巣鴨4-26-10
東京都豊島区巣鴨4-26-10
==代表的な雑誌・書籍==
==代表的な雑誌・書籍==
*'''[[SMフロンティア]]'''、1974年(昭和49年)-
*'''[[SMフロンティア]]'''』、1974年(昭和49年)-
*'''SMフェニックス'''、1980年(昭和55年)5月号-
*'''[[ヤングウィンキー]]'''』1975年頃?−
*'''[[小説SMファン]]'''
*『'''[[ハードパンチ]]'''』1970年代後半ー
*'''[[SMマニア]]'''
*『'''[[SMフェニックス]]'''』、1980年(昭和55年)5月号-
*'''[[SM秘小説]]'''、1982年(昭和57年)
*'''[[小説SMファン]]'''』、
*'''[[マニア倶楽部]]'''
*『'''[[SMプラザ]]'''』、1981年頃
*『'''[[SMエロス]]'''』、1981年頃
*『'''[[SMマニア]]'''』、
*『'''[[SMソドム]]'''』、
*『'''[[セクシカデラックス]]'''』、
*『'''[[SM秘小説]]'''』、1982年(昭和57年)
*'''[[マニア倶楽部]]'''』、
*『'''[[愛奴恋写館]]'''』
*『'''[[流行写真]]'''』
*『'''ミスタールパン'''』1986年(昭和61年)2月1日、編集人:沢井真之介、発行人: [[石川精亨]]
*'''アップル通信'''
*'''アップル通信'''
*『'''[[ビサージュ]]'''』
*『おもらし倶楽部』『おしおき倶楽部』『スパンキング倶楽部』『お尻倶楽部』『カルテ通信』
*『おもらし倶楽部』『おしおき倶楽部』『スパンキング倶楽部』『お尻倶楽部』『カルテ通信』
===[[サンワムック]]===
{{サンワムック}}


==トピック==
==トピック==
*[[桃園書房]]の資本で生まれたが、後に日版プロセス(仲代表)の資本下に。
*1990年代にマニアシリーズのビデオを制作。
*1990年代にマニアシリーズのビデオを制作。
*主な歴代編集者、小野寺利一、東本満、水木次郎、中島哲郎、升之利
*主な歴代編集者、[[浅田昌弘]]、[[松本裕]]、[[麻来雅人]]、福江裕司、後藤康典、石橋、小野寺利一、東本満、水木次郎、中島哲郎、升之利


==関連会社==
==関連会社==

2016年7月21日 (木) 15:30時点における版

さんわしゅっぱん

概要

司書房にいた浅田昌弘石川精亨古川隆が休眠状態であった桃園書房資本の三和出版を譲り受け、1980年代初頭から本格活動を開始した出版社。SM雑誌の全盛期に小説SMファンSMマニアSM秘小説マニア倶楽部などの人気雑誌を発行した。濡木痴夢男有末剛麻来雅人杉浦則夫志摩紫光などが作品発表した。

別名

三和出版株式会社

歴史

1974年(昭和49年)、桃園書房の子会社として設立[1]

1974年(昭和49年)、SMフロンティアの出版を司書房から引き継ぐ。

1976年(昭和51年)7月8日、登記上の設立日。

1980年(昭和55年)5月、SMフェニックス創刊。編集人:藤代史生、発行人:圓地利三

1982年(昭和57年)春頃、司書房にいた浅田昌弘石川精亨古川隆らが株主となり三和出版に本格移籍。松本裕も移る。杉浦則夫三和出版を主な発表の場とする。濡木痴夢男有末剛が主な緊縛師として参加。

1982年(昭和57年)頃、麻来雅人が入社。

1982年(昭和57年)頃、代表取締役社長が浅田昌弘から仲一弥に。

1986年(昭和61年)1月、マニア倶楽部SMマニア増刊号として出版、その後定期刊行化し現在に至る。

1988年(昭和63年)頃、濡木痴夢男有末剛三和出版の仕事から一時退き、麻来雅人らが主な緊縛師として杉浦則夫と組む。その後、岩月憲二なども一時緊縛を担当。

1993年(平成5年)5月12日、株式会社メディアボーイ設立。

1994年(平成6年)、古川隆が独立して福江裕司[注 1]英和出版社を設立。

1999年(平成11年)、浅田昌弘後藤康典石橋愼嗣らと共にマイウェイ出版を設立。SMマニアSM秘小説、アップル写真館の発行はマイウェイ出版へ移動。同時期に山田博志大洋図書に移り市ヶ谷編集局開設。

所在地

東京都千代田区三崎町2-11-7トーエンビル4F(1980年5月のSMフェニックス創刊時。司書房と同じ住所)

東京都千代田区神田神保町1-21 (1985年11月頃)

東京都豊島区巣鴨4-26-10

代表的な雑誌・書籍

サンワムック

トピック

  • 桃園書房の資本で生まれたが、後に日版プロセス(仲代表)の資本下に。
  • 1990年代にマニアシリーズのビデオを制作。
  • 主な歴代編集者、浅田昌弘松本裕麻来雅人、福江裕司、後藤康典、石橋、小野寺利一、東本満、水木次郎、中島哲郎、升之利

関連会社

引用文献

  1. 仙田弘総天然色の夢』(本の雑誌社, 2001)

注釈

  1. 当時「アップル通信」編集人。後に英和出版社代表。

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