ローズ秋山

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セックスドキュメント エロスの女王』(東映, 1973) (監督:中島貞夫)に取り上げられたローズ秋山夫妻。
奇譚クラブ5月号より
小沢昭一珍奇絶倫 小沢代写真館』(話の特集, 1974.4)に収録されている晃生ショー劇場前での写真。
賀山茂裸足で歩いたSM道S&Mスナイパー2005年(平成17年)7月号より

ろーずあきやま。1960年代中頃からから夫婦で、鞭や蝋燭を使った「残酷ショー」をストリップ劇場を中心におこなう。奇譚クラブのみならず中島貞夫監督の映画やTVなどにも出演し、一般の注目も集める。70年代初めまで活動。

概要

1960年代中頃からストリップの舞台で「残酷ショー」をおこない、奇譚クラブで話題となる。SMショーの歴史で重要な位置を占める。

別名

english、秋山美智夫、秋山夫妻

略歴

1967年(昭和42年)、奇譚クラブ1月号の「編集部だより」に「ダイコーミュージックでアブノーマル演劇と銘打った<女体責め>の劇をやっているのを見てきたと山本一章氏から連絡」「引き続いて鶴見橋第一劇場」「秋山夫妻のSショーという名前で、かつての青木順子以上の凄いしばり」

1967年(昭和42年)、奇譚クラブ5月号に鍔喜敬一『サジズムショーの主人公 秋山夫妻の夫婦愛』が。

1967年(昭和42年)、奇譚クラブ6月号の「編集部だより」に「4月1日〜10日に京都大宮劇場に出演予定」といった内容の情報。

1967年(昭和42年)7月6日-、名古屋銀映にてローズ秋山夫妻の『残酷ショウ』[1]

1967年(昭和42年)8月1日-10日、名古屋銀映にてローズ秋山夫妻の『残酷ショウ』[1]

1967年(昭和42年)、奇譚クラブ8月号の辻村隆SMカメラ・ハント』、第x回目のモデル。

1967年(昭和42年)、風俗奇譚10月号に『秋山夫妻の優雅な生活」。

1969年(昭和44年)10月28日、辻村隆福田和彦と11PM「サド侯爵もびっくり」に出演[2]

1969年(昭和44年)11月3日、ミュージックアカデミーにて秋山夫妻の残酷ショー[3]

1970年(昭和45年)、奇譚クラブ1月号, p242に「『残酷ショー』見学記」

1970年(昭和45年)、奇譚クラブ2月号, p234に「大阪ダイコー、東大阪市のコーセー劇場で公演」とある。

1973年(昭和48年)、中島貞夫監督の『セックスドキュメント エロスの女王』(東映, 1973)で取り上げられる。

1974年(昭和49年)、小沢昭一珍奇絶倫 小沢代写真館』(話の特集, 1974.4)の中に晃生ショー劇場での写真が収録。

1978年(昭和53年)5月1日〜10日、晃生ショーローズ秋山夫妻のSMショー[4]

1978年(昭和53年)9月1日〜10日、晃生ショーでSMショー[5]

エピソード

  • 1965年(昭和40年)頃から活動か。
  • ローズ秋山と秋山美智夫。ローズは自らはMでないと言っている。秋山美智夫はマントを着用。
  • 奇譚クラブ1967年(昭和42年)8月号「カメラハント」にローズ秋山の特集。
  • 奇譚クラブ1970年(昭和45年)2月号「カメラハント」にローズ秋山の特集2回目。
  • 奇譚クラブ1973年(昭和48年)2月号「カメラハント」にローズ秋山の特集3回目。
  • 大阪のダイコーミュージックが初舞台
  • 鞭は実際にはあてていない。蝋燭は垂らしている。
  • 賀山茂裸足で歩いたSM道S&Mスナイパー2005年(平成17年)6月号に東京公演とその後のプライベートセッションの様子が紹介。プライベートではSMマニアであったと賀山茂は述べている。

代表作

引用文献

注釈


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