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*1967年(昭和42年)11月公開の『縄と肌』の撮影裏話が[[奇譚クラブ]]1967年(昭和42年)8月号の『[[鬼六談義]] カメラ嫌い』に。
*1967年(昭和42年)11月公開の『縄と肌』の撮影裏話が[[奇譚クラブ]]1967年(昭和42年)8月号の『[[鬼六談義]] カメラ嫌い』に。
*1968年(昭和43年)公開の『続・[[花と蛇]] 赤い拷問』の撮影裏話が[[奇譚クラブ]]1968年(昭和43年)10月号の『[[鬼六談義]] どさ廻りの話』に。
*1968年(昭和43年)公開の『続・[[花と蛇]] 赤い拷問』の撮影裏話が[[奇譚クラブ]]1968年(昭和43年)10月号の『[[鬼六談義]] どさ廻りの話』に。
*『続・[[花と蛇]] 赤い拷問』の映画の中で、[[谷ナオミ]]の縄が途中でほどけていると[[奇譚クラブ]]の読者が文句。1969年(昭和44年)2月号, p236。


==代表作==
==代表作==

2010年7月4日 (日) 16:07時点における版

やまべぷろ、1965年(昭和40年)-

活動内容

山邊信夫エロダクションとして1965年頃に設立。脚本のほとんどは団鬼六が書き、谷ナオミ太古八郎、山中溪子、新高恵子、山本昌平、桂奈美、山吹ゆかりなどの俳優をかかえていた。

別名

english

略歴

エピソード

  • 事務所は「目黒長者丸」にあった。この地名は現在では使われていないが、恵比寿ガーデンプレイス、自然教育園、目黒通り、JR山手線に囲まれた高級住宅街である。現在の住所は品川区上大崎二丁目。
  • 1965年(昭和40年)9月公開の『花と蛇』の撮影裏話が奇譚クラブ1965年(昭和40年)8月号『鬼六談義 映画「花と蛇」』に。
  • 1967年(昭和42年)11月公開の『縄と肌』の撮影裏話が奇譚クラブ1967年(昭和42年)8月号の『鬼六談義 カメラ嫌い』に。
  • 1968年(昭和43年)公開の『続・花と蛇 赤い拷問』の撮影裏話が奇譚クラブ1968年(昭和43年)10月号の『鬼六談義 どさ廻りの話』に。
  • 『続・花と蛇 赤い拷問』の映画の中で、谷ナオミの縄が途中でほどけていると奇譚クラブの読者が文句。1969年(昭和44年)2月号, p236。

代表作

1965年

  • 『花と蛇』
  • 『赤いぼうふら』

1966年

  • 『裸の復讐』
  • 『猟奇の果て』
  • 『魔性の人妻』
  • 『乱れ花』
  • 『我慢できない』
  • 『花と蛇より 骨まで縛れ』
  • 『女の奥』
  • 『汚辱の女』
  • 『泣き濡れた処女』
  • 『蛇淫の肌』
  • 『乳房の週末』
  • 『肌に泣く女』
  • 『黒い痴情』
  • 『柔肌の掟』
  • 『女の破局』

1967年

  • 『非行少女の日記』
  • 『女のせい談』
  • 『愛欲の清算書』
  • 『縄と乳房』
  • 『ダブル処女』
  • 『愛情開眼』
  • 『情事の階段』
  • 『いそがしい肉体』
  • 『歪んだ情欲』
  • 『無軌道女性』
  • 『柔肌しぐれ』
  • 『赤い肉』奇譚クラブ1968年1月, p26に紹介。
  • 『肉地獄』
  • 『リンチと縛り』
  • 『』

ダブルドッキング 鞭と肌 多情な乳液

1968年

引用文献

注釈

  1. 同名の映画が1983年にっかつから小沼勝監督で製作されている。
  2. シナリオが奇譚クラブ1967年(昭和42年)2月号に掲載。日本映画データベースでは原作が「花と蛇」となっている。
  3. 日本映画データベースでは監督が経堂一郎岸信太郎となっている。
  4. 日本映画データベースでは「新高恵子 桝田邦子 山吹ゆかり 伊海田弘 長岡丈二 北幸二 斎藤道代」となっている。
  5. 奇譚クラブ1968年(昭和43年)7月号にシナリオ掲載。またこのロケの様子が奇譚クラブ1968年(昭和43年)8月号『鬼六談義 残酷な話』に書かれている。
  6. 奇譚クラブ1968年(昭和43年)8月号『鬼六談義 残酷な話』で「「花と蛇」の愛読者が緊縛女優志願に来たので、京マコとして『肉体手形』に役を付け足す。」とある。奇譚クラブ1968年(昭和43年)11月号にシナリオ掲載。
  7. 奇譚クラブ1968年(昭和43年)10月号『鬼六談義 どさ回りの話』の中で伊豆・下賀茂でのロケの様子が紹介されている。賀山茂が参加。奇譚クラブ1968年(昭和43年)9月号にシナリオ掲載。

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