「テンプレート:道劇」の版間の差分
提供:SMpedia
(→歴史) |
|||
21行目: | 21行目: | ||
1954年(昭和29年)2月16日、[[道劇ミュージックホール]]にて『'''[[肉体の門]]'''』公演。制作:[[深井俊彦]]。第2部は「夜の真珠は濡れている」で構成・演出:[[深井俊彦]]、振付:[[村田凡二郎]]、出演:[[ヒロミ原]]、[[右ノリ子]]、[[光陽子]]<ref name="#12594763886"></ref>。 | 1954年(昭和29年)2月16日、[[道劇ミュージックホール]]にて『'''[[肉体の門]]'''』公演。制作:[[深井俊彦]]。第2部は「夜の真珠は濡れている」で構成・演出:[[深井俊彦]]、振付:[[村田凡二郎]]、出演:[[ヒロミ原]]、[[右ノリ子]]、[[光陽子]]<ref name="#12594763886"></ref>。 | ||
1954年(昭和29年)10月31日、新装開店<ref name="#12594763886"></ref>。 | |||
1955年(昭和30年)、[[道劇ミュージックホール]]閉館<ref name="Jero"></ref>。 | 1955年(昭和30年)、[[道劇ミュージックホール]]閉館<ref name="Jero"></ref>。 |
2020年5月6日 (水) 09:48時点における版
道頓堀劇場
戦後まもなく大阪の道頓堀に開場した劇場。ストリップ劇場、映画館など、業種を変えながら続く。1970年(昭和45年)に東京渋谷に開場した渋谷道頓堀劇場とは別物。
道頓堀劇場(大阪)
なまえ
概要
別名
所在地
大阪市 中央区 道頓堀
歴史
1947年(昭和22年)1月、バラック建てのボードビル劇場として開場。「ほどなくストリップ劇場に変わったと三田純市はいっている。」[1][2]。
1954年(昭和29年)11月14日、道劇ミュージックホールにて。ヒロセ元美、ラリー三保野、秋千恵⼦が出演[3]。
1954年(昭和29年)2月16日、道劇ミュージックホールにて『肉体の門』公演。制作:深井俊彦。第2部は「夜の真珠は濡れている」で構成・演出:深井俊彦、振付:村田凡二郎、出演:ヒロミ原、右ノリ子、光陽子[2]。
1954年(昭和29年)10月31日、新装開店[2]。
1955年(昭和30年)、道劇ミュージックホール閉館[4]。
1956年(昭和31年)3月11日、1年ぷりに道頓堀劇場が公演。⻘本美代⼦、⾼⽊マリ、結城かはるなど[3]。
1961年(昭和36年)9月1日、道劇ミュージックホールで軽演劇「釜が崎の点と線」全14景とストリップ・ショウ「新婚の⽣態」「ストリップ・アラカルト」[3]。
1963年(昭和38年)8月2日、道劇ミュージックホールで「新装開場第2弾!タムレタムレヌード」に特別出演:青木順子[5]。
1963年(昭和38年)9月15日、道劇ミュージックホールで「とんぼりヌーフォーリーズ ショッキングピンクヌード」に特別出演:青木順子。構成演出:深井俊彦、振付:杉太郎[5]。
エピソード
- 開場年が1950年(昭和25年)[6]、1952年(昭和27年)[4]、1954年(昭和29年)11月14日[3]などの情報があるが、1947年(昭和22年)1月にバラック建てで誕生し、その後すぐにストリップ公演をおこなっているようだ[7]
- 800席[4]。
- 業種をボードビル劇場、ストリップ劇場、映画館、アルサロとめまぐるしく変えた[2]。
- 「三田純市は道頓堀の芝居茶屋の息子[1]。