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2020年5月5日 (火) 14:13時点における版
道頓堀劇場
1950年代に大阪の道頓堀にあった道頓堀劇場(大阪)と、1970年(昭和45年)に東京渋谷に開場した渋谷道頓堀劇場とがある。
道頓堀劇場(大阪)
なまえ
概要
別名
所在地
大阪市 中央区 道頓堀
歴史
1947年(昭和22年)1月、ボードビル劇場として開場。「ほどなくストリップ劇場に変わったと三田純市はいっている。」[1]。
1952年(昭和27年)、道劇ミュージックホール開館[3]。
1954年(昭和29年)11月14日、道劇ミュージックホール開館。ヒロセ元美、ラリー三保野、秋千恵⼦など[4]。
1954年(昭和29年)2月16日、道劇ミュージックホールにて『肉体の門』公演。制作:深井俊彦。第2部は「夜の真珠は濡れている」で構成・演出:深井俊彦、振付:村田凡二郎、出演:ヒロミ原、右ノリ子、光陽子[5]。
1955年(昭和30年)、道劇ミュージックホール閉館[3]。
1956年(昭和31年)3月11日、1年ぷりに道頓堀劇場が公演。⻘本美代⼦、⾼⽊マリ、結城かはるなど[4]。
1961年(昭和36年)9月1日、道劇ミュージックホールでで軽演劇「釜が崎の点と線」全14景とストリップ・ショウ「新婚の⽣態」「ストリップ・アラカルト」[4]。
エピソード
引用文献
- ↑ 1.0 1.1 cobanobuのブログ「DX東寺」
- ↑ みのわひろお『日本ストリップ50年史』(三一書房, 1999)
- ↑ 3.0 3.1 3.2 @劇ジェロNOW
- ↑ 4.0 4.1 4.2 STRIP MEMORIALより
- ↑ cobanobuのブログ「肉体の門」